« 更新のお知らせ | トップページ | マーガレット・ミッチェルに題のヒントを与えた、ダウスンの詩をご紹介 »

2009年2月 6日 (金)

5日に、呼吸器クリニック受診

 5日に、呼吸器クリニックを受診しました。

 血圧は上が100いくつか、下が50いくつか、とわたしにしては低め。脈拍も、65と少なめ。

 ずっとお目にかかっていなかった看護師さんが「お久しぶりですね。互いの時間帯がずれていたみたいですね」と優しくおっしゃってくださいました。「1年ぐらい、お顔をみていない気がします」とわたし。

 この看護師さんには、フルタイドをサボっていた頃に、厳しく叱られたことがありました。そのときの看護師さんは、わたしが主人に愚痴をこぼすときのような、怒りを抑え様もないといった雰囲気で、言葉は穏やかでしたが、目を遠くに据え、とりとめのないお叱りの言葉が長く続くという印象に残るものでした。

 看護師さんのおかあさまが喘息で、ずいぶん大変なのだそうです。それで、わたしのようなことをしていれば、先でどんなことになるのかがわかるし、その不真面目さには腹が立ちもし、心配を通り越した感情は怒りに変わらざるをえない……という感じでした。

 そのとき、わあ苦手だなあ、この手の看護師さん……と思いましたが、普通に接すると、とても優しいかたです。

 ただフルタイド、今でもときどきサボることがあります。わたしは、肌がひどく弱いように、粘膜も弱いのではないかと思いますが、使っているうちに口の中が荒れ、(気のせいかもしれませんが)黴臭いような臭いがしてきて、続けられないと感じたときは、調子がよければ、しばらくやめます。そのときは、ハーブのエルダーフラワーなどで予防しています。

 ちゃんとうがいをしていても、わたしの声は変わってしまい、高い声が全然出ません。無理に出そうとすると、掠れて咳き込んでしまいます。フルタイドの副作用なのか、風邪とかインフルエンザとかの後遺症なのか、自分ではわかりませんが。

 ところで、指にクリップのような器械を挟んで測る酸素飽和度は、96でした。

 看護師さんによると、95までは、よいそうです。100が満点。95までは大丈夫。94になると、鼻にチューブを入れて常時酸素を吸っていなければならない状態だそうです。普通の人は、だいたい99、98あたりだとか。

 発作時などに、一時的に酸素飽和度がぐっと落ちることはあるでしょうから、看護師さんがおっしゃった94という目安は、普段で94しかない場合をいうのでしょうね、きっと。

 薬局で、わたしと同じように大人になってから喘息を発症したという中年女性と話しました。彼女は酸素飽和度が90くらいに下がったことがあるそうです。幸い80代には、なったことがないとか。94という目安からすると、90などという数値は大変だという気がしますが、彼女の鼻には別にチューブなんか入っていなかったので、発作時に一時的に下がっただけで、普段はいいということなのでしょう。

 酸素飽和度、わたしは体調がよいときにしか測って貰ったことがないので、発作時にはどんなものなのか、一度測って貰いたいものだと思います。

 でも現実には、発作時には今にも喉が閉じてしまいそうで、動くどころか声も出せず、メプチンエアーなどで、ある程度症状が治まったときには、精根尽き果てて爆睡してしまうといった風。風邪・インフルエンザにかかりさえしなければ、そんな事態を招かずに済んでいますが、元気なときの記録しかないというのは、何となく、参考資料(?)に乏しい気がしてきました。

 何かのときは、循環器クリニックのほうへ行ってしまいがちであることも、資料に乏しい一因かも。前に、循環器クリニックの先生から、「こんな症状のときは、Mくんのところへ行かなきゃあ」と、呼吸器クリニックへ行くように促されたことがありました。

 呼吸器クリニックでの受診に話を戻しますと、12月に受けたインフルエンザワクチンはどのインフルエンザに効果があるのか、尋ねてみました。ワクチンには、A香港、ソ連。B。だいたい全部といってよいくらい入っているそうです。

「それでも、パーフェクトに効くというわけではありませんから。用心は必要です」と、先生。娘の勤め先では今、Aが流行っているそうです。

 副甲状腺の話題になったとき、ついでに骨腫瘍の不安を先生に吐露してしまいました。先生は、心配ないことを、いろいろな例を挙げて力説してくださいましたが、わたしは、これが生命に係わるかどうかということより、この先、腫瘍を摘出することによる陥没などの見た目の変化を第一に心配しているのです。

 先生はわたしの頭の陥没に触ってみてくださり、「これくらいなら、髪で充分隠れるから、平気、平気。わたしは頭に穴が2つ空いている人を知っていますよ」と、先生。穴……。そんな状態の人と比べて平気といわれたところで、不安が解消するどころではありません。

「先生、額なら、どうなりますか。髪では隠しきれません。もし陥没したときは、形成手術だって、できますよね」と、わたし。先生は、「どれ」と額の腫瘤にも触れられ、「こんなに小さいものなんだから、放っておいて構わないでしょう?」

 わたしは、この先、これが大きくなって摘出せざるをえないときのことを心配しているのです。少しずつでも大きくなっていることが、わかりますから。

 削るだけのはずが、硬い骨腫であることが手術中にわかり、土木工事のような手術になってしまった、その内容が、局所麻酔だったために、全部わたしにはわかりました。術後に先生が脳出血を心配された理由も、その手術時に頭が受けなければならなかった衝撃の度合いから、わかりました。今後、同じような手術を受ける場合、そうしたこともわたしは不安です。が、専門違いの先生をこれ以上困らせたって仕方がないと思いました。

 そろそろ、脳神経外科の予約をとらなければなりません。 

|

« 更新のお知らせ | トップページ | マーガレット・ミッチェルに題のヒントを与えた、ダウスンの詩をご紹介 »

健康 №2(体調) 」カテゴリの記事

健康 №3(受診)」カテゴリの記事