息子と喧嘩して想ったこと
息子とあることを話していて、意見にずれがあり、そのことで息子がひどく怒ってしまった。
喧嘩をしたというより、ほぼ一方的な感じだ。息子のこんな怒りかたはかつての自分にそっくりなので、昔の自分を相手にしているようで、奇妙な気がしてしまう。
ポーに確か、自分そっくりの他者が存在するという怪奇小説があった気がするが、本当に似ている。
そういえば、思い出すが、息子を妊娠中に奇妙な体験をしたことがあった。外出前にマタニティードレス姿の自分を鏡に映していたときのこと、自分にオーバーラップするような形で他者の存在を感じたのだった。
その存在は完全に客観的にわたしを眺め、わたしの服装のセンスを批判するような感じを仄めかせた。虚をつかれたわたしは、その感じを気のせいだと打ち消し、しかし、「マタニティードレスなんだから、センスも何も……仕方がないじゃないの」といいわけをしたのだった。その存在とおなかの赤ん坊を切り離すことはできなかった。
あれを胎児の霊、それも前世の霊と考えればいいのか、どうか。
奇妙な体験はその一度きりで、生まれてきた赤ん坊はごく普通の赤ん坊だったが、高校生になったある日の息子はこんな夢を語って、わたしを驚かせたりもした。
ちょっと普通でない部分があるところまで、娘より、息子のほうが自分に似ていると思うが、自分に似た相手というのは刺激的で、共鳴力も反発力も共に大きい。
年とって、わたしは喧嘩が苦手になった。関係の修復を考える前に横になりたくなり、喧嘩の種もそれのふくらんだ現象も忘れてしまいたくなる。だが、かつてのわたしであれば、それは許さないだろう。息子も、執拗だ。
双方の意見が違うだけで、どっちらかが決定的におかしいということはないとわたしは思うが、怒り、わたしを批判するときの息子の感じは、文芸作品を批評するときのわたしの執拗さ、冷やかさ、理屈っぽさを連想していただけば事足りると思う。
息子がおなかの中にいたとき、わたしはこれまでの人生で最も精神的に安定していた。男性ホルモンの影響? とも思うが、そのときのわたしにオーバーラップした他者としての息子が、わたし本来の持ち味を殺さずにいてくれ、別の視点をもたらすことで、わたしの性格や行動の欠点を結果的にサポートしていた、というもあるのもしれない(?)。
よく、それができたなあ、と思うが、オーバーラップしたときの息子の感じは少なくとも、壮年期は過ぎた男性というイメージを伴っていた。今の息子より、成熟した年齢といえるかもしれない。
あのオーバーラップがどういう現象だったのか、妊娠・出産に組み込まれた、どんな過程だったのか、神智学の文献で調べてみようと思うが、徹底的に調べたことはまだない。妊娠に関して、驚くようなことがいろいろと書かれているが、何しろ難解なので。
生まれ出て完全に他者となった息子だが、怒りかたが似ているのを見るとき、何だかまだ臍の緒がつながっているのを見るような錯覚が起き、それを断ち切るために、こんな年齢になってもひどく怒るのではないだろうか、などと本筋とは関係のないことを思ってしまうのだった。
自分と親の関係を想ってみても、親子には何だか……よくいえば神秘的、悪くいえば薄気味の悪いところがあるなあ、なとどわたしはときに感じてしまう。
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『息子の夢と前世のわたし』
まだ高校生だった息子がわたしの夢を見たといって、こんな話をしてくれたことがありました。
そこは昔のインドか中国かというような土地で、わたしは白い牛に跨り、上半身は裸。どこかへ行こうとしていたそうです。息子は旅の途中の商人だったとか。わたしは白く長い髭を持ち、ひどく痩せていて、頭は剥げた老人。神々しいような目をしていて、修行者らしい傷が両手にあったというのです。
「その剥げたお爺さんがママだなんて、何だってわかるわけ?」と訊くと、
「だって、雰囲気がママなんだ。どうしたって、ママなんだ」といいました。そして、そのお爺さんをなつかしむような遠い輝くような目をしました。
夢が、というより、息子のそんな表情がわたしにはとても起こりそうもない神秘に思えました。その頃、息子は反抗期の只中だったのです。
実は、本当のことだとは思っていただけないかもしれませんが、前世、修行者として老人になってから死んだというあわい記憶が子供の頃のわたしにはありました。瞑想をする習慣もありました。今となっては、嘘のような子供時代の出来事です。瞑想のやりかたなんて、もう忘れてしまいました。
ただ具体的なことはわたしには何もわからず、息子の夢がわたしたちの前世に絡んだものなのかどうかは知りようがありません。息子は子供の頃、お金を駒にして遊ぶ癖がありました。商人だった名残なのかしら。
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