つぶやき(朝のハプニング、注連縄)
以下は、2006年12月28日木曜日・当ブログ記事からの引用です。
まだ大掃除が終りませんで、玄関、窓・網戸は今日する予定です。昨日は風呂場を掃除し、天井まで綺麗にしました。用済みの本を処分したいと思ったのですが、結局処分しようと思った数冊の本を座り込んで読んだだけでした。捨てられそうな本はなし。。。
そのあとで、正月のための買い物に出かけました。蒲鉾、高いです~。「宇部かま」の中で安いものを2本買いました。祝い箸を買いました。おせち料理は注文したので、あまり作るつもりはないのですが、娘の好きな黒豆は煮るので、重曹を買いました。小豆を買いました。干し柿を買いました。塊のハムを買いました。焼いた餅を巻く海苔を買いました。薬局で屠蘇を買いました。
夫と息子の好きなイクラは、ぎりぎりに買うことにしました。雑煮に入れるかつを菜も日持ちしないので、ぎりぎりに買うつもりですが、あまりぎりぎりだと売り切れていたりします。野菜売り場で毎年迷うのは、わさびを買うかどうかです。わさびを摺りおろしたものは本当に美味しいけれど、高いぃぃぃ~です。
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注連縄(しめなわ)は、こんなものを選んでみました。
注連縄は交尾する蛇を擬したものという民俗学者、吉野裕子さんの説を思い出します。わたしも、その説を知る以前から注連縄は蛇に似ているなあ~と思っていました。本当に蛇に似ています。
蛇は古代から世界のあちこちで、豊饒、性エネルギー、再生、永遠のシンボルとされてきたようですね。
前に住んでいた借家の庭にはよく蛇が出現しましたから、窓から蛇の観察を余儀なくされました。同じシマヘビであっても、肢体の美しさ、容貌、雰囲気には個体差があるものですね。
夏、塀を超えて溝で水浴し、また塀を超えて庭に帰ってきた蛇を見たことがありました。木漏れ日の中、天気雨のシャワーを気持ちよさそうに浴びていた蛇の肢体は銀色を帯び、佐賀錦を連想される雅やかさでした。
蛇の生活も大変だなあ~と思われたのは、木に登って、そこから下りるときの蛇の苦労を見たときです。枝の端まで行き着いた蛇は、一旦ぶらんと枝にぶらさがってから、頭の方向を逆向きにすることでようやく方向転換できたのですね。
なぜ、そのとき蛇が木に登っていたのかといえば、どうも餌を探してのことのようでした。蛇は舌で匂いを嗅ぐといいますが、その舌をしきりにちらちらさせて、この木で駄目ならあの木へ、あの木で駄目ならその先の木へと、何と木3本分の労働をしたのでした。
それで、どうやら収穫はゼロ。蛙も何も見つからなかったようでした。そのとき蛇は、おそらく空腹のまま巣に帰ったのです。それとも、その後も、わたしの知らないところで蛇の労働は続いたのでしょうか。
こんなことを書くと、よほどの蛇好きと思われるかもしれませんが、観察しているあいだ中、わたしは総毛だっていたのですよ。買い物に出たり、庭にある物干しに行ったりするために、蛇がいないかどうか確かめる必要があって、嫌でも蛇がいないか探す癖がついていたのです。
過去の日記の自分と競争しながら、年末の慌しさを終える習慣のわたしです。2006年のわたしは年賀は、まだだったはず。これだけは勝ちましたよ。
クリスマスが終わった直後の26・27日の大切さはわかっているつもりでしたが、今日は朝のハプニングで、(念のための待機の必要もあり)あまり使いものにならず、正月用の買出しは明日27日に行くつもり。屠蘇、鏡餅は、そのときに買う予定です。
注連縄は迷うところです。このマンションでは皆さん、ほとんどお飾りにならないので。
注連縄といえば、思い出すのは蛇で、上の過去記事にも書いていたので、少し長くなりましたが、その部分も引用してみました。実際のこの時期の蛇は、冬眠しているのでしょうね。
玄関に注連縄を飾るのは28日か30日がよいとされているので、来年も飾るとすれば、それも明日の買出し時に買っておかなくてはなりません(外すのは、地域により、松の内が終わる7日、鏡開きの11日、小正月の15日のうちのどれかになりますね。わが家では、11日に外してきました)。
今日は冷蔵庫の掃除とベランダの徹底掃除をするはずでしたが、冷蔵庫だけで終わりそう。上の過去記事によると、2007年までは息子も帰省していたようです。2007年の晩春に発覚した夫の不品行に怒った息子が、もう帰省しないと宣言した今年の正月は、2日から1泊2日で、娘とわたしは息子の街に出かけました。
帰ってこられない家族がいれば、こちらから出かけるだけの話なので。
その間、夫には寂しい思いをさせるかもしれませんが、こればかりは彼自ら招いたことですから、仕方がありません。夫は実家に帰ろうにも、流通業界に勤める哀しさで、正月は元旦だけしか休みではなく(正月以降に埋め合わせがありますが、まとまってはとれません)、時間的に無理。昔はそうではなく、次第に正月休みが少なくなった経過を考えると、流通業界の変遷がよくわかります。
来年の正月も、わたしと娘は2日から1泊2日で息子の街に出かける予定です。ホテルの部屋と、(別のホテルのレストランになりますが)レストランも予約済みです。息子は枕が変わるとよく眠れないというので、前回、息子のぶんの部屋はとりませんでした。
が、わたしたちのホテルの部屋で話し込んだあと、真夜中になって自宅へ帰る後ろ姿が寂しそうに見えたので、今回は3人部屋をとりました。息子が帰りたくなれば、帰ってもいいし、話し込みながらそのまま眠り込んでもいいように、わざと別々の部屋にしませんでした。
部屋をとったホテルは、息子が大学入学した年に、家族全員で泊まったホテルでした。そのホテルの料理は安いと拙く、美味しいと想像できるものは馬鹿高いので、前回泊まったホテルのレストランを予約しました。
昨年はメインを選べるコース形式とバイキング形式が合わさったもので、値段が手頃で美味しく、食欲旺盛の息子でもおなかがいっぱいになるという素敵なものでした。今回は生憎、バイキング形式の併用はないようですが、コースのメインは、肉か魚のみ・肉と魚、のどちらかを選べ、パンは好きなだけ食べられるそうです。
駅を通じて、この2つのホテルはすぐです。先月末から今月初めにかけて息子とわたしが喧嘩してしまい、この行事も潰れるかと心配でした。わたしたちと過ごす正月が、年末・年始も駅の警備員件案内係りのバイトで忙しい息子の、せめてものオアシスになってくれればと願います。
ただ、娘と一緒にわたしが息子の街に行けるのは、夫が健康ならではの話です。早朝、ひやりとさせられたハプニングがありました。
痛くて、腰が曲がらないというのです。ぎっくり腰にしては歩け、また靴下が履けないという夫の話から、わたしはヘルニアを疑い、すぐに病院にいったほうがいいといいました。
が、夫は自分が鍵を開けなければならないといって、悲愴な面持ちで、靴下を半分履いたまま(わたしが履かせてあげられたのですが、それを拒否する勢いで)、「俺が行かなきゃ始まらん!」と怒鳴りました。
「会社の人に電話して、鍵をとりに来て貰ったら?」と、わたしはいいました。夫が部下だった頃は、よく上司に呼びつけられ、鍵をとりにいったものでしたが、夫はそういうことは遠慮してしまうほうです。内弁慶の典型タイプ。
実は、夫と同じような症状を過去にわたしも経験しており、そのとき、靴はとても履けませんでした。夫が物凄く無理して靴を履いているのか、それほどでもないのに履けたのか、確かめる間もない剣幕でした。
その上、わたしの入院以来、夫の仕事として定着させようとしてきたゴミ出し。いつもは忘れがちなのに、わざわざ引き返して、ゴミを持っていこうとするではありませんか。何だか壮絶な面持ちで、口出ししにくいムードがありましたが、さすがにわたしは「やめてちょうだい。こんなときに」といって、ゴミを奪いました。
こんなときの夫は、何をいっても始まらないので放っておくしかないのですが、さすがに車の運転は無理ではないかと思い、わたしも運転しなくなって久しいので、「せめてタクシーにして」といったのですが、「運転はできる!」とまた怒鳴り、よろめきながら、会社へ出かけてしまいました。ドサクサの中で、保険証を持っているかの確認だけはしました。
夫と一緒に行くには、わたしは身支度もできていず、そのまま外へ出るのは恥ずかしすぎるので、見送りもしませんでした。頭に血が昇っている夫は止めても無駄だし、行くのが無理なら戻ってくるしかないでしょう。
夫は会社に辿り着けたのか否か、時間が経った頃に電話をしてみましたが、つながりませんでした。しばらくして会社にかけてみようと思いながら、その間に身支度を済ませ、娘を送り出し、戸締りを済ませると、整形外科について思考を巡らしました。
整形外科はどこがいいのだろう、知らないなあ、そんな科。そのあとで、ふと、自分がずっと整形外科にかかっていたことを思い出して、びっくりしました。
夫も頭に血が昇っていたのかもしれませんが、わたしも頭に血が昇っていたようで、病院とは付き添いか看病で行くところだった過去に帰ってしまっていたようでした。
そう自分が病人でいられる贅沢さ(?)は、どうも本当のことだという気がせず、こんな風な間接的な病院との関わりかたこそが本来の自分にふさわしいという気がしてしまいます。
わたしの入院中、ヘルニアで入院していた人がいたので、整形外科のことはたびたび話題になりました。その人がいいという○○整形外科について、別の人は金儲け主義といい、ネットで検索してみたところでは設備は整っているようでした。いわゆる総合病院ではないので、午後も受診できます。
腰は極めて大事です。わたしの母方の叔父が昔、椎間板ヘルニアの手術を大学病院で受け、失敗して半身不随になっています。
夫の腰の不調が何かはまだわかりませんでしたが、入院になる可能性も大きいと思い、それなら、大きい、わたしも通いやすいところ――といえば、わたしのかかりつけのレッドクロスか○○整形外科。少し遠い県立辺りになるでしょうか。国立病院機構は便が悪く、大学病院だと、さらに遠くなります(ここの駅からタクシーで、県立まで15分、国立機構まで15分、大学病院まで20分と案内にありますので、歩いて行けるレッドクロス以外になると、どこでも大して違わないともいえます。バスの便は、よいほうから、県立、大学、国立の順)。
会社に電話するまえに再度夫にかけてみようと思い、かけたら通じました。
「大丈夫なの?」とわたし。「あ……いや、何ともなくなった」と夫。装っている風な声ではなさそうでしたが、腑に落ちないわたしは、なるべく早くタクシーでレッドクロスか○○整形外科か県立のどれかに行ってほしい、といいました。
「会社の人のおすすめがあったら、そこがいいかもしれないから、そのときは行く前にわたしに教えて。どちらにしても、いつでも付き添える準備はできているから」とさらにいうと、夫は罰が悪そうに、「本当に何でもなくなったんだ」といいます。
「とにかく無理はせずに、おかしければ、すぐに病院に行ってよね。脅かすわけじゃないけれど、腰の病気で半身不随になった母方の叔父、知っているでしょう? 午後だと○○整形外科しか開いていないけれど、急患ですといえば、レッドクロスでも診てくれると思うから」といって、心配しながら電話を切りました。
筋違えか何かだったのでしょうか。本当に何でもなければいいのですが。夫の帰宅はまだで、わたしの警戒は続いています。
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