バルザックと神秘主義と現代 そのⅠ
以下のエッセーは1998年に執筆したもので、ソネットブログ「マダムNの神秘主義的作品」に収録中のものです。当ブログでもご紹介することにしました。
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バルザックと神秘主義と現代 そのⅠ
わたしの大好きなバルザックは51歳で死んだが、眠気覚ましの濃いコーヒーのがぶ飲みが一因ともいわれている。
わたしもコーヒーを飲みすぎることがある。目を覚ますためではなく、ストレスをまぎらわせるために。そのストレスの内容を分析してみれば、才能の乏しさや筆の未熟さに起因するストレスがあり、さらには、わたしの書きたいものと通念との乖離に起因する大きなストレスのあることがはっきりする。
バルザックの『谷間の百合』ほど、わたしを酔わせた小説はない。抒情味ゆたかな、気品の高い恋愛物で、全編に百合の芳香が漂っているかのようだ。ここには見事なまでにバルザックの内的な世界観が打ち出されている。
数あるバルザックの作品のうちこれがわたしを最も惹きつけたのは、この作品の華と神秘主義の華が甘美に重なりあっているためだろう。少なくともわたしは『谷間の百合』の魅力をそのように理解したのであった。
『谷間の百合』の女主人公モルソフ夫人はカトリック教徒であるが他方、神秘主義哲学者サン=マルタン(1743―1803)に親昵し、その教えに薫染した人物として描かれている。
神秘主義思想はローマン・カトリシズムから見れば無論、異端思想である。『谷間の百合』は教会の禁書目録に含まれていた。
バルザックという人間が神秘主義を頭で理解したつもりになっているだけの人物なのか、そうではなくて、それを感性でも捉え得ている人物なのかは、例えば次のような箇所を読めばおおよその判断はつく。
引用はモルソフ夫人の臨終に近い場面からである。
そのときの彼女からは、いわば肉体はどこかに消え去って、ただ魂だけが、嵐のあとの空のように澄みきったその物静かな顔を満たしていました。(略)そして、顔の一つ一つの線からは、ついに勝ちをおさめた魂が、呼吸とまじりあう光の波を、あたりにほとばしりださせているのです。(略)思念からほとばしり出る明るい光は、(略)〔石井晴一訳〕
肉眼では見えないはずのオーラや想念形態といったものを内的な視力で見る者であれば、こういった箇所を読むと、彼がそうしたものを実際に見ていたのだという感じを抱かずにはいられまい。
学者で透視家であったスヴェーデンボリ(1677―1772)の著作の影響を感じさせる『セラフィタ』。バルザックは両性具有者を登場させたこの浮世離れした作品の中で、真の恋愛が如何なるものであるべきものかを追究している。
わたしたちのお互いの愛の多寡は、お互いの魂にどれほど天界の分子が含まれているかによるのです。〔蛯原徳夫訳〕
さらに同著において、 神秘主義哲学とは切っても切れない《宇宙単一論》が展開され、バルザックは数について考察する。
貴方は数がどこで始まり、どこで止まり、またいつ終わるのか知りません。数を時間と呼んだり空間と呼んだりしています。数がなければ何も存在しないと云い、数がなければ一切は唯一つの同じ本質のものになる、と云います。なぜならば数のみが差別をつけたり質を限定したりするからです。数と貴方の精神との関係は、数と物質との関係と同じで、謂わば不可解な能因なのです。貴方は数を神となさるのでしょうか。数は存在するものでしょうか。数は物質的な宇宙を組織立てるために神から発した息吹なのでしょうか。宇宙では数の作用である整除性なくしては何物も形相をとることはできないのでしょうか。創造物はその最も微細なものから最大なものに至るまで、数によって与えられた属性、すなわち量や質や体積や力によって、始めて区別がつけられるのでしょうか。数の無限性はあなたの精神によって証明されている事実ですが、その物質的な証明はまだなんら与えられていません。数学者たちは数の無限性は存在するが証明はされないと云うでしょう。ところが信仰する者は、神とは運動を恵まれた数で、感じられるが証明はされない、と云うでしょう。神は『一』として数を始めますが、その神と数とにはなんら共通なものはありません。数は『一』によって始めて存在するのですが、その『一』は数ではなく、しかもすべての数を生み出すのです。神は『一』ですが創造物とはなんら共通点を持たず、しかもその創造物を生み出すのです。ですから数がどこで始まり、創造された永遠がどこで始まりどこで終わるかは、わたしと同様に貴方もご存じないわけです。もし貴方が数をお信じになるのなら、なぜ神を否定なさるのです。
『絶対の探究』には近代錬金術師が登場して、《絶対元素》を追求する。バルザックはこれを執筆するにあたって、前年に完訳されたスウェーデンの化学者ベリセリウスの『化学概論』全8巻を読破し、化学者たちの協力を仰いで完成させたという。
主人公バルタザール・クラースはアルキメデスの言葉「ユリイカ!(わかった!)」と叫んで死ぬ。『ルイ・ランベール』のごときに至っては、主人公ルイを借りて、バルザックその人の神秘主義者としての歩みを詳述し、思想を展開させ、さらには形而上的な断章まで加えた、一種とめどもないものとなっている。
自らの思想と当時の科学を折衷させようと苦心惨憺した痕跡も窺える、少々痛々しい作品である。
「われわれの内部の能力が眠っているとき」と、彼はいうのだった。「われわれが休息のここちよさにひたっているとき、われわれのなかにいろんな種類の闇がひろがっているとき、そしてわれわれが外部の事物について瞑想にふけっているとき、しばしば静けさと沈黙のさなかに突然ある観念が飛び出し、無限の空間を電光の速さで横切る。その空間はわれわれの内的な視覚によって見ることができるのだ。まるで鬼火のように出現したそのキラキラかがやく観念は消え去ったまま戻ってこない。それは束の間の命で、両親にかぎりない喜びと悲しみを続けざまに味わわせるおさなごのはかない一生に似ている。思念の野原に死んで生まれた一種の花だ。ときたま観念は、勢いよくほとばしって出たかと思うとあっけなく死んでしまうかわりに、それが発生する器官のまだ未知のままの混沌とした場所に次第に姿を現わし、そこでゆらゆらと揺れている。長びいた出産でわれわれをヘトヘトにし、よく育ち、いくらでも子供が産めるようになり、長寿のあらゆる属性に飾られ、青春の美しさのうちにそとがわでも大きくなる。(略)あるとき観念は群れをなして生まれる。(略)観念はわれわれのうちにあって、自然における動物界とか植物界に似ている一つの完全な体系だ。それは一種の開花現象で、その花譜はいずれ天才によって描かれるだろうが、描くほうの天才は多分気違い扱いにされるだろう。そうだ、ぼくはこのうっとりするくらい美しいものを、その本性についてのなんだかわからない啓示にしたがって花にくらべるわけだが、われわれの内部とおなじく外部でも一切が、それには生命があると証言しているよ。(略)」〔水野亮訳〕
漸次、 こうした神秘主義思想の直接的な表現は彼の作品からなりをひそめ、舞台も俗世間に限られるようになるのだが、そこに肉の厚い腰を据え、『ルイ・ランベール』で仮説を立てたコスミックな法則の存在を透視せんとするバルザックの意欲は衰えを知らなかったようだ。
以上、『谷間の百合』『セラフィタ』『絶対の探求』『ルイ・ランベール』の順に採り上げたが、完成は順序が逆である。
神秘主義的傾向を湛えた四作品のうちでも、わたしが『谷間の百合』に一番惹かれたのは、バルザックの思想が女主人公に血肉化された最も滋味のあるものとなっているからだろう。〔続〕
※バルザックに関する他のエッセー:マザコンのバルザック?
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