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2008年10月18日 (土)

久しぶりの再読、アガサ・クリスティー著『そして誰もいなくなった』

 気が向けば、携帯ホームページに推理小説を書こうか、という下心もあって、かつて最も熱中したアガサ・クリスティーとコンナ・ドイルのものを一冊ずつ購入した。

 クリスティーのものは名作と名高い『そして誰もいなくなった』(清水俊二訳、ハヤカワ文庫)、ドイルのものはホームズ・シリーズ最後の長編『恐怖の谷』(延原謙訳、新潮文庫)。

 まず、クリスティーから読んだ。ストーリーをすっかり忘れてたために白紙の気分で熱中でき、さすがはクリスティー、無駄のない書きかたで読みやすく、沢山登場する人物の使い分けもきちんとなされていて面白く、3時間ほどで読んだ。

 作品からは、昔読んだときほどの威厳は感じなかったが、期待通りの知的楽しみと文学的な味わいをもたらしてくれた。ホラーがかったものの多い最近の推理物に比べたら、高級感がある。

 薬学の教養があり、殺人の方法に毒を使うことの多いクリスティーらしく、トリックといっても、それほど手が込んだものではない。時代の違いもあるのだろう。

 ドイルの再読ではどんな感想を持つことになるのか、楽しみだ。謎解きに夢中になれただけでなく、ドイルやクリスティーの作品を通して古きよき時代の英国文化の薫りにうっとりとなっていられたあの頃。

 同じ感覚は戻ってこないが、よいものはやはりよいという安心感を覚えた。 

 これまでにわたしは殺人方法を正面から考えたことはないといっていいと思うが、自殺と見せない自殺方法がないかと考えたことは多々ある。

 というのも、親類に2度自殺未遂し、3度目にしてやっと自殺できた人がいて、その悲惨さ、見苦しさ、周囲にかけた迷惑ぶりに呆れたからだった。魅力的な人で、慕っていただけに、ショックだった。おまけに死後に、小さな子供を道連れにしたかったのか、誘いに来たらしい。

 神秘主義者としてのわたしの探究心はそのことをきっかけとして深まり、また厭世的な心理状態になったときには、自殺と悟られない自殺方法などをあれこれ考えた。

 これを推理小説に転用できるのではないかと考えたわけだ。 

 でも、いざ自分が書こうとすると、トリックの問題以前に、神秘主義者としての感性が深まったせいか、知的遊戯のためとはいえ、殺人方法などを考えることは罪だという強い抵抗が自身のうちで起きてしまう。自殺も、その方法を考えることも極力避けたいものだ。 

 自殺をすれば、あの世での死後の手続きがスムーズに行かなくなり、いわゆる成仏しにくくなるのではあるまいか。この世もあの世も社会性が機能していることは間違いなく、そうしたセーフティーネットからこぼれ落ちた場合どうなるのか、わたしにはわからない。

 ただ、生前知的であった人が3人、いわゆる初七日の間にわが家を訪問してくれ(当然ながら無事成仏できた人々であることは確かだと思う:関連記事はこちら)、様々な印象を残して去った。やはり、わたしは神秘主義者として、そうしたものをネタに作品をつくりあげたい。

 推理小説はわたしの場合、読むだけの楽しみにしておいたほうがよいだろう。それより、失敗を懼れるために書き出すのが億劫な、例の死者の登場する舞台劇風の小説を書き出す時期が来たのではないだろうか。

 クリスティーを読んで、その気持ちにエンジンがかかってきたのはありがたい。 

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