同人雑誌の休刊
同人雑誌の編集人が原稿の締切をいってこないと思っていたところへ、封書。いつもは葉書なのに。何やら、物々しい雰囲気が漂っていると思ったら、次号の原稿募集が遅れるということと、その後の休刊のお知らせだった。
休刊の理由としていくつか書かれていたが、大きな理由として、文藝春秋発行の文芸雑誌「文學界」の《同人雑誌評》が今年いっぱいで打ち切られることになった衝撃が挙げられていた。
わたしたちの同人雑誌(といえるほど、わたしは同人歴は長くないが)、は発行のたびにそこで採り上げられていたから、発行人、編集人の落胆もわからなくはない。
しかし、そんなことが大きな理由だとしたら、そんなつまらない理由で……と思う。採り上げられたからといって、腹の足しになるじゃなし。
関連して純文志向に対する逆風にも触れられていた。だからこそ、同人雑誌を出すのだと思っていたのだけれど。
まあ、こんな風な文学観の違いは、強引に勧誘していただいた当初からあった。
ただ格安の同人費に掲載費、しっかりとした編集、校正(元新聞記者が担当してくれていた)、発行後の宣伝、また同人雑誌の地元における市政との文化的結びつきなど、発行人、編集人のこれまでのご尽力には頭が下がる。
案外、そのあたりのところの息切れが一番の原因で、そこに《同人雑誌評》打ち切りのニュースが追い撃ちをかけたといったところなのかもしれない。
尤も、廃刊ではなくて、とりあえずの休刊なのだから、彼ら同人雑誌の責任者たちを取り巻くわたしを含めた一般の同人たちの動きでこの先、同人雑誌の未来はどう変わるともいえる。
が、やはり文学観の違いがわたしにとっては大問題であって、今回の休刊宣言に対して動こうという気にはなれない。ときどき電話がかかってくる同市に住む同人はこの知らせを読んだのか、まだ読んでいないのか、黙している。
作品が活字になり、きちんとしたかたちで保存できるありがたみを、同人雑誌は教えてくれた。休刊になれば浮くお金で(といっても家計から捻出していた臨時的な出費だったが)、また自分だけの作品集を編もうかとも一晩のうちに計画した。
1995年に、「月の捧げもの」という小冊子166頁からなる作品集を出したことがあった。文学仲間から安い印刷所を教わり(漫画の同人雑誌の印刷を主とする印刷所だった)、遠方の印刷所だったことが災いして、文字の小さすぎたことが難点だったことを除けば、よい仕上がりだったと思う。
小説は『杜若幻想』『茜の帳』『牡丹』『雪だるま』『銀の潮』。エッセイは2編。手記は『枕元からのレポート』。戯曲『月と百合とふたりの女』。詩は『月とたましい』『太陽に溶け』『入京』『れくいえむ』。
以上が「月の捧げもの」に収めた作品の全て。全部、ホームページに収録予定だ。このかたちにしておかなければ、何しろ昔の作品ばかりだから、今頃は散逸してしまっていたかもしれない。
ホームページに収録するだけでは、不安なのだ。ふと、以前書いた作品に目を通したくてたまらないときがこれまでにあって、それがもう開けないフロッピーに入っていたり、一部を欠いた原稿として残っていたりすると、心底がっかりしてしまうことになった。今後もそうであると思う。だから、なるべく活字に、という思いは強いのだ。
単行本のかたちにしたいとは、不思議にも一度として思ったことがない。専業主婦のわたしには経済的に無理ということもあるが、とにかく何らかのかたちで活字にしておきたいだけなのだ。
「月の捧げもの」を出したときも、「くりえいと」という同人雑誌を離れたあとだった。印刷所は、「くりえいと」のメンバーから教わった。
今度作品集を編むとするなら、事前に出かけていって自分の目で確かめながら細かな打ち合わせのできる印刷所に頼みたい。となると市内ということになり、ネット検索してみたが、出かけてみなければもう一つわからないなあと思う。
この作品集の件は、急ぐ話ではないから、ゆっくり進めたい。そして、最後の作品提出となる次号へは、どんな作品を出そうか? 締切は来年2月。
それにしても、来年こそは秋吉台に取材に行って、児童文学作品『不思議な接着剤』を完成させたいものだ。今年の不作なことといったら! 尤も、前掲の「文學界」《同人雑誌評》で採り上げられた『侵入者』は今年の作品だから、収穫ゼロというわけではなかった。
同人雑誌の編集人には手紙を書こうと思う。文学が低調なのは、行き過ぎた商業主義が原因だとわたしは考えている。平安時代に書かれた『源氏物語』が今でも一向に色褪せず、読まれていることから考えると、文学は人類ならではのすばらしい発明だと思える。
人間に関わりのあることは全て――、人間存在をまるごと引き受けようとする文学は、一種の崇高な宗教だとわたしはみなしている。最も知的で、愛情深く、人間に対して決して諦めることのない、哲学に近いというより、それを包含した性質を持つ人間教(?)ともいうべき、人類の輝かしい文化的所産ではないか。
それを継承し発展させる責任は、今ここに生きているわたしたちにある。
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