映画『グーグーだって猫である」を観て
今日は朝からパッとせず、家事をする以外はほとんど横になっていた。あのあと、心臓も卵巣のほうも落ち着いていたお蔭で、横になっていられたわけだが。
月曜日になってもまだ卵巣の嚢胞が原因と想像させる痛みが起きるようであれば、婦人科を受診しようと思う。
ところで、映画『グーグーだって猫である』を観に行き、感想を書くつもりでいて、まだだった。写真は、映画を観に行った大型商業施設の中にある「パステル」で飲んだコーヒー。
大島弓子原作のコミックスをもとにした映画『グーグーだって猫である』。犬童一心脚本、監督。
わたしは入院中に、娘が持ってきてくれた角川文庫版で原作に触れていた。原作のほうは淡々としたエッセー風コミックスとでもいおうか、それまでの大島弓子の作品にはない味わいがある。
映画のほうは少々雑駁な、濃い目の感じで、アシスタント・ナオミ(上野樹里)の目を通して、ペットの猫・グーグーと生きる漫画家・小島麻子(小泉今日子)の人生が描かれる。
漫画家に興味のあるかたは、観ておいても損はないと思う。漫画家の創作苦というか、スランプというにはもっと大きな……創作するうえでの芸術家の苦悩といったものがよく描かれていると思った。
漫画家として生きる1人の女性の限界を見つめた作品に、一応、映画は(おそらく理解しないままに)仕上がっていた。わたしはどうしても小島麻子に、漫画家・大島弓子を重ねないわけにはいかなかった。
大島弓子のファンかと訊かれると途惑う。それほど熱心な読者ではなく、読んだ作品も限られている。大島弓子はわたしにとり、時々発作的に読みたくなるコミックスの作者といっていいかもしれない。
最初に読んだ作品は、『ポーラの涙』だった。まま母と女の子の葛藤、両者の心の襞があますところなく描かれていて、すばらしい作品だと思った。
大島弓子の描くところ、どこにでも女性的なゆたかな世界が出現する。その世界は薫り高く、幻想的で、主要な登場人物にはたおやかながら凛としたところがあり、母親を描けば大和撫子、少女を描けば大和撫子の雛形と感じられた。
こんな女性像を描ける芸術家は、そう多くはないだろうと思う。いにしえから日本という国が育んできた雅やかなもの――伝統美――を感じさせる。
それは漫画家・大島弓子の感性によって捉えられ、選択され、方向化され、一つの世界として形作られ、コミックスという表現形式を得て珠玉のような作品群に結晶化された。
彼女は、そこから出られないのだ。彼女自身に意識されていようが、いまいが、彼女が古きよき日本の伝統美の担い手の1人であることは確かで、それが彼女の苦悩ともなるのではないかと想像される。
極言すれば、大島弓子は、『源氏物語』の作者・紫式部の系譜に連なる人物であるが、紫式部などと比較すれば、如何にもか細い。紫式部に存在する中国に学んだ堅固な哲学、歴史観が欠如しているからだろう。
彼女の限界は、現在の日本が抱えた限界でもあるのではないだろうか。
いにしえの中国の哲学の代わりに、現代アメリカの思想を持ってきてもそぐわない。否、それは、そぐわないどころの話ではない。アシスタント・ナオミはアメリカに旅立つことができるが、大島弓子の形代である漫画家・小島麻子には、それはできない芸当のはずだ。
彼女はどこまでも、この日本という国の、今や失われつつある伝統美の片鱗に執着する。そういう観点からすれば(たぶん深読みだろうが)、闇市の残り香があるという街を舞台とした監督の手腕は、大したものだ。
が、ついに彼女の肉体が叛乱を起こしたとき、彼女の入院先の病院で、アシスタントを中心に据えたチアダンスで激励される下りは、吉祥寺にひっそりと生きる、頑ななまでに自分の世界を守ってきた彼女には如何にもそぐわない。ほとんど暴力的な出来事と映る。ある意味で、妙に現実的な展開とはいえるが……。
そんなそぐわなさは他にもあった。例えば、小泉今日子の表情に、時々、映画『道』でジェルソミーナを演じたジュリエッタ・マシーナの面影を見たのは錯覚だろうか。一緒に観に行った娘も同じ感想を洩らしていた。
もし小泉今日子が小島麻子を演ずるにあたり、無垢なジェルソミーナを演じたマシーナを参考にしたのだとしたら、ちょっとちぐはぐな発想と思われる。
パンフレットに、グーグーの前に飼われて死んだ愛猫サバは、当初岸田今日子のイメージだったとあった。撮影の前に、岸田今日子は亡くなってしまった。日本の伝統美が醸すかのような包容力を感じさせる岸田がこの映画に登場できなかったという事実は、危うげな孤独な現代日本の一面を象徴しているような出来事だとわたしは感じた。
映画に登場した猫たちは、特にどうということもない猫たちだった。尤も、わたしは猫を飼ったことがないので、傍観的にしか猫のことがわからない。
フリーライター牧野容子さんのブログ(⇒)牧野容子の「ライターな日々」で時折お目にかかることのできる、猫のわらびちゃんの凛々しさ、愛らしさにはまっている(☆牧野さん、勝手にリンクしてすみません)。
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