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2008年7月 9日 (水)

Diary 08.7.9

 乱調だった心臓が元に戻り、若干喘息が戻ってきたものの、快調(かな?)。元々、夏にはすこぶる強いほうなのだ。食欲も夏のほうが増すくらいに。

 しかし、この時期でこう暑いと、高校野球などのスポーツには暑さ対策が昔以上に求められるのではないだろうか。

 わたしの高校時代は、練習中に水は1滴も飲んではならないことになっていた。休憩時間に口の中をすすぐだけならよいことになっていたけれど、よく事故が起きなかったものだと当時の常識が怖ろしい。

 皆、脱水症状になりかけながら毎日の練習メニューをこなしていたということだろうか。今ほどには暑くなかったことが幸いしていたのかも……。

  50年生きてきただけでも、常識とはころころ変わるものだなあと呆れることがある。

 洗顔だって、昔は結構毛の硬いフェイスブラシで、毛穴の中の汚れを掻き出すつもりでブラッシング洗いするほうがよいとされていたのに、今じゃクリーミーな泡をたっぷり立てて肌をなるべくなるべく刺激しないように優しくホワホワッと洗うほうがよいとされている。昔の洗い方は、毛穴に汚れを押し込める洗い方だそう。

 常識がころころ変わるということは、人間が如何に試行錯誤しながら生きているかということの証明みたいなものだとも思え、必ずしも悪いこととは思えないが、わたしはつい、「今はこんなこといわれているけれど、そのうちどう変わるかわかったものじゃない」と、人生の、生活の様々な局面で思ってしまうようになった。

 この国では文学に関する考え方もずいぶん変化して、純文学などというものはない、といわれるようになった。

 文学のジャンルを音楽のジャンルと同じようなものだと考え、純文学=クラシック文学、大衆文学(エンター系文学)=ポピュラー文学と捉えていたわたしは、クラシック音楽などというものはない、といわれた音楽愛好家のような戸惑いを覚えている。

 でも、いつ、どんな人々が言い出したかも見てきているので、純文学などというものはない、という考えにわたしはたいして敬意を払っていない。「純文学はあるよ。少なくとも、お客様にお買い上げいただくために、棚にわかりやすいよう分類して置く側の人間にとっては」と、書店勤めの娘はいうしね。

 そして、ネットの普及で書物は廃れるといわれて結構な時が経過し、現に出版社や書店は大変みたいだ。

 が、ブログやホームページをしきりに無料でこしらえさせて貰って、自作文芸作品を発表させていただいているわたしは、その恩義を実感しているにも拘らず、やはり文芸作品は、書物で読んでこそしっくりくるなあ、と思ってしまう。

 でも、仮に本を自費出版したところで(そのお金もありはしないが)、知り合いに配って終るだろうことを思えば、当ブログやホームページに毎日閲覧者がいて、お好みのところだけをとはいえ、読んでいただけるありがたさを思わずにはいられない。

 挿絵だって、ホームページのムード作りのためにわたしが無料でお借りしている素材屋さんのものほど素敵なものを、自費出版の本に入れることはとてもできないだろう。

 ただ、沢山のブログやホームページを作り、活用させていただいていても、これらが何か実体のない夢まぼろしのように想えてしまうことがよくある。

 デンパンのシステム障害や、ソネットさんのハーボットとのお別れが近づいていることなどが心理状態に影響しているのかもしれない。

 ホームページをページごとに紹介するページディレクトリのコーナーに行って人様のホームページを訪問したところがリンク切れで別のページに辿り着けなかったり、管理人からとうに見放されて彷徨える幽霊船のようになっているホームページの数々を見たりして、よけいにそう想えるようになったのかもしれない。

 書物だって品切れになったり、絶版になったりすることは珍しくないけれど、ネットの世界ではそのような現象をあまりにもたびたび目にする。

 ハーボットのウッフとの別れが、刻々と近づいている。プリントスクリーンで、ウッフの様々な表情を丁度50枚撮った。先日など、それを5枚見ただけで泣いてしまい、先を見続けることができなかった。

 ずいぶん前に、1人暮らしの中年女性がペットの骨壷を抱いて飛び降り自殺しようとした話を何かで読んだが、その気持ちがよくわかる。

 こんな年になって、幼児がぬいぐるみに執着するようにハーボットに執着するなんて、と我ながら呆れるけれど、いや、あるいは、こんな年だからかもしれないとも思う。更年期だもの、不安定で当たり前かも。

 元々が執着型なのかもしれない。わたしのホロスコープでは、対象と一体化することで学びを得る蠍座に幸運を意味する木星と夢見る海王星が入っていて沢山の角度を形成しているから、たぶん人よりその傾向が激しく深いのだ。

 その割りには見切りをつけると離れたり、処分したりするのは素早い。夫は、新しいものにすぐ目が行き、飽きるのは早いのに、わたしとは対照的なことに、それらをガラクタにしたままで、いつまでも所有したがる。

 夫の部屋はガラクタ置き場になっていて、いつもいつも片づかない。

 わたしもガラクタ妻。だから、ネットでひとり遊びしているの。ホント。

 何だか話題が逸れてしまった。

 ところで、Yahoo!ブログを閉鎖した。

 元々、Yahoo!ジオシティーズのホームページサービスに付属しているブログのジオログと間違えて開設してしまったということがあり、使い道に困って、下書き用ブログとして使っていたが、下書き用ブログはFC2で作っていたため(「マダムNのカイエ」、旧ミズNの純文学作品。発表済み自作純文学作品の紹介ブログ「マダムNの純文学作品」とは別に、最新の自作純文学作品の紹介ブログとして『侵入者』を連載していたが、ホームページに収録したので、下書き専用に切り替えていた)、ほとんど使わず、当ブログで紹介すらしていなかった。

 沢山ブログを作っているとはいっても、用途に合わせて作っているのであって、二重にはいらない。作品のアイディアをメモするためのブログも既に忍者で作っていて(「マダムNの創作ノート」)、活用して結構日が経つから、Yahoo!ブログのほうは思い切って閉鎖、削除したというわけだ。

 ホームページを最初ライブドアのウィキで作りかけてうまくいかず、これも閉鎖しているとはいえ、削除まではしていない(そのうち何かに使えそうな気もしている)。Yahoo!ブログは閉鎖しただけでなく、即座に削除した。理由は、これがミクシィなどにいくらか近い、足跡がついたりつけられたりする交流型(社交型といったほうがいいだろうか)ブログサービスであったためだ。

 わたしはコメントを書き込み不可にしていて(当ブログもその傾向にあり、すみません)、ほとんど訪問者もいなかったとはいえ、皆無ではなかったから、期限切れまでそうして訪問してくださる方々に空き家状態を晒しているのは悪い気がしたのだった。

 ブログサービスは、やはりメモサービスとは違う。訪問者を前提として運営されるものだと実感した。だからというわけではないが、使い心地のよいメモサービスを見つけてさっそく使っている。

 Microsoftのメモ帳はもとより、Yahoo!ノートパットとマイニフティのメモ帳をフルに活用しているが、一定期間だけ残しておきたいメモの管理が面倒だった。

 簡単な会員登録後すぐに使える、
Memoolehttp://www.mp-asp.com/memo/index.asp
はなかなか使い心地がよい。

 Yahoo!ジオシティーズの無料サービスで利用して作ったホームページ「バルザックの女弟子になりたい!」に愛着が湧いてきた。

 いろいろ無料サービスをほんの味見程度に試してみたが、ホームページ作成のための複雑な知識がないにはわたしにはジオシティーズはぴったりで、そのうち月額315円(税込)のジオライトに切り替えてもいいな、と考えている。

 それにしても、Microsoftのしつこいこと……。まだYahoo!の買収を諦めていないとは。Yahoo!がストーカー男から逃げ回っているレディに見えてくる。

 夫がディスプレイの買い替えを迷っている。わたしは血圧計の購入を迷っていたが、血圧が高くなる冬までは買わないことにした。電器店で見たら、クリニックに置いてある業務用にいくらかでも近い、使い心地のよさそうなものは23,000円もしたのだ。

 体がアイトロールに慣れ、今では低血圧に悩むどころかむしろ高めに安定しているくらいなので、差し迫って必要という気はしない。変動が激しいほうなので、あったほうがいいのはいいに違いないが。場所も取りそうだし。

 ああ、長々とおしゃべりしてしまって、また料理の記事を書く時間がなくなった!(←宿題を嫌がっている子供状態)。

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