「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第91回
第五章
「さしたる献上品は必要ないんですね。中国の皇帝は太っ腹。心ばかりのものを持って行けば、よしよしして、沢山のプレゼントを持たしてくださるはずですから。使者となるナシメさん、トシゴリさんの容貌は、質のよい恭順さに溢れている。何よりの献上品ですよ」
タルの言葉にわたしは噴き出し、ピチピチする魚さながらでいらっしゃる姫君をとり押さえ損ないました。
宮中では、朝貢のための準備が着々と進められているところでした。
「乳人殿は、今日はどうされたの?」
「熱がありますの。別の局で休んでいますのよ」
タルは頷きました。わたしに手を貸しながら、「遼東はまだ混乱しています。魏の官吏を襲うゲリラが出没するという話ですし、抵抗している豪族も少なくないようです。ナシメさん、トシゴリさんのご無事を祈らなくては」
「姫君、お父君がほどなく異国へとご出立なさいますんですよ。きちんと、行ってらっしゃいがおできになりますか」とわたしは姫君に、殊更陽気に語りかけました。
お召し替えが終って気持ちよくおなりになった御子は、愛らしいお口に指をまるごと突っ込んで、小鳥のような、泡のような声をお立てになります。
「公孫氏を撃った司馬懿は元々清流派(※13)に属し、曹操(※14)時代にブレーンを成した1人で、底意のありそうな人物なんですが、今や、魏の権力を二分する大官ですものね。
彼の併合した旧公孫領の帯方郡を経てはるばる魏に朝貢しようとする我が国の使者は、悪いようにはされないはずです。
それというのも、司馬懿のかつてのライバル――この人はもう死んじゃったけど――が帯方郡に力を入れてシルクロードの交易路を圧え、大月氏王の朝貢を促したことがありました」
「まあ、タル。大月氏国というと、あなたの出生地ですわね」
「そういうことにしておくかな。
大月氏王はその時、親魏大月氏王の称号を贈られている。魏王朝ではその事実とのバランスをとる必要があるでしょうから、おそらく女王様は、親魏倭王の称号を贈られるのではないかと思いますね」
「タル」
イサエガが妙な動きをひろげていますわ、と続けようとして、わたしはふと気だるくなりました。
けれども、タルは感受したようで、ほっそりとなって髭を生やした栗色の顔が翳りました。
およそ不思議なことでしたが、その時タルとわたしの間で、同じ側近の1人であるイサエガを容疑の対象として囁き交わすことを阻む、ある清廉にして不合理な抑制力が同時に働いたようでした。
わたしは額に手の甲を当て、乳人の風邪が移ったのかしら、と思いました。〔続〕
註
13 後漢末宦官の横暴に抵抗した知識人グループ。
14 太祖武帝。
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