朝一番にお話の続きを考えた~スピカのモデル
昨日も記事にしましたが、児童文学作品『不思議な接着剤』の続きを、再び考えました。
スピカのイメージが二通りわいたと書きましたが、よく考えれば、そのうちのどちらがスピカにふさわしいかは、自ずとわかることでした。
錬金術師の娘スピカは、鍾乳洞内の湖に住む竜の生贄とされる定めで、鍾乳洞に幽閉されています。彼女はいささか気が触れていますが、彼女本来の気品と知性は損なわれることなく、鍾乳洞内に入り込む子供たちにも伝わります。
このスピカのモデルが誰であるか、どうしてこれまでわからなかったのだろうと思います。それは、当ブログで連載中の(中断していますが、まだ続きます)『あけぼの――邪馬台国物語』に登場するヤエミのモデルとは違う人物。
スピカのモデルは、修道女を育てるためのカトリック系の学校が合わず、そこで精神を損なったと語る、先日博多で会ったばかりのわたしの友人です。彼女しかいません。仕上がったら、彼女に読んで貰おうと思います。
彼女は修道院の学校を出たあとも、そのときに培ってしまった自己否定的な意識に依然囚われたままのようです。自由な彼女の本性は、そこから逃れようともがき苦しむのです。
わたしのお話に出てくる中世風の架空の街では、住民達は古風な信仰に生きています。それはわたしのお話の中だけに出てくる宗教、信仰で、わたしたちの誰もが知らず知らず囚われがちな固定観念をシンボリックに表現したものです。その固定観念がとるイメージは、人それぞれでしょう。
わたしの友人の場合は、それがたまたまカトリックであったというだけのことでしょう。そして、先日博多で会ったとき、わたしは彼女から、以前はなかった力強さを感じました。
彼女が混乱した自分をコントロールできるだけの統合力を育みつつあることを、感じました。
その彼女の内的な力強さが、わたしのお話の子供たちを引き寄せたのです。わたしはこんなにも長いこと、彼女のことを書きたかったのだと気づきました。彼女をモデルにしたスピカと子供たちが鍾乳洞の中でどんなドラマを繰り広げることになるのか、まだおぼろげにしかわかりません。
それにしても、子供たちの一人、少女瞳のモデルがマチコちゃんであり、スピカのモデルが彼女であることが判明するまでにずいぶん時間がかかってしまいました。
でも、この作品をわたしは急ぎたくはなかったのです。この児童文学作品が求道的なものになるであろうことははっきりしていましたから。賞に応募するために、手っ取り早く仕上げるなんてことは絶対にしたくありませんでした。
これは余談ですが、上述した友人のホロスコープを作ってみました。
占星術で最も重視される太陽の位置を、松村潔著『決定版!! サビアン占星術』(学習研究社、2004年)に従って割り出すと、そのシンボリックなイメージは何と「修道院に入る女」です。
統合失調症を発症した年齢域金星の位置は、「雲の上の飛行機」。解説を断片的に拾い上げてみると、
象徴的な意義に満たされた神話的な自分を大地に引きずりおろそうとする魔の手が近づくと、この人は自分を「雲隠れ」させます。(略)生活者として見た場合、あまりにも実体がつかめない人かもしれません。
と、あります。
大学時代の彼女にはまさに、この解説通りの雰囲気がありました。生活者としての実体がつかめない、まるで伝説の人か何かのようなイメージがありました。
彼女はカトリックの教義に大人しく縛られるには、内面の豊かさを持ちすぎていたのでしょう。教義は他の人には有用に働いたかもしれませんが、彼女の場合、それは、学校の規則、雰囲気といったものを含めて、自分を引きずりおろそうとする魔の手と感じられてしまったのかもしれません。
「雲の上の飛行機」の鏡関係にあるサビアンシンボルは、「影の向こうを覗く二つの頭」です。その解説の一部。
しかし乙女座2度で深く内面に打ち込まれた固定的概念である公共の「十字架」が強い自意識を内面に作り上げてあげてしまったため、乙女座は決して自分の外に出ることはできません。にもかかわらず強力な想像作用によって遠い未来を覗いたそのとき、自己が二つに分裂し、個人的内面に閉じ込められた一方の自己を崩壊(すなわち時期の早すぎる解放)に導くという、自分の逆さ像を見てしまいます。それはぞっとするような醜い自分であり、乙女座はその顔を見て、再び内面深く閉じこもります。
大学時代に彼女の書いた詩のうちの珠玉のような数編は、内面の分裂、混乱をテーマとしていながら、高度に象徴化された、洗練の極みといっていいような作品です。
ちなみに、わたしの太陽のサビアンシンボルは「化石化された森」。解説の一部には、こうあります。
本当に価値があると感じ、もっと発展させるべきだと思う思想、体系、文化、物品などを、風化から保護するために努力する人です。また価値の評論者としても有能な働きをする人でしょう。
そう、そのために沢山のブログを作り、ホームページを作ったともいえます。シンボル通りに、有能な働きができるようになれればいいのですが。。。まあ、そのうちにね。命が続けば。
| 固定リンク
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 日本色がない無残な東京オリンピック、芥川賞、医学界(またもや鹿先生のYouTube動画が削除対象に)。(2021.07.20)
- 芸術の都ウィーンで開催中の展覧会「ジャパン・アンリミテッド」の実態が白日の下に晒され、外務省が公認撤回(2019.11.07)
- あいちトリエンナーレと同系のイベント「ジャパン・アンリミテッド」。ツイッターからの訴えが国会議員、外務省を動かす。(2019.10.30)
- あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その17。同意企のイベントが、今度はオーストリアで。(2019.10.29)
- あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その16。閉幕と疑われる統一教会の関与、今度は広島で。(2019.10.25)
「神秘主義」カテゴリの記事
- 長引いたコロナ。舅の死(ある因縁話)。百貨店でオーラの話。(19日に加筆あり)(2024.03.18)
- 小指が立つ癖。モーツァルトのロンド(ニ長調 K 485)、パッヘルベル「カノン」。ピタゴラスは弟子たちの魂を音楽によって矯正しました。(2023.08.06)
- 年賀状を用意する時期になりました。スペース座談会「第一回ワクチン後遺症を語る会〜メディアでは報道されない真実〜」。コオロギせんべい(グレート・リセット関連)。魂の無い機械人間?(ツイッターでのやりとり)(2022.12.20)
- 神秘主義エッセーブログより、改稿済み「71 祐徳稲荷神社参詣記 (2)2016年6月15日」を紹介(2022.11.04)
- 神秘主義をテーマとしていたはずのツイッターでのやりとりが、難問(?)に答える羽目になりました(2022.06.22)
「児童文学」カテゴリの記事
- (29日に加筆あり、赤字。夜になって再度の加筆、マゼンタ字)エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」に49、50―アストリッド・リンドグレーン(2)(3)―をアップしました(2021.10.29)
- Kindle版電子書籍『枕許からのレポート』、『結婚という不可逆的な現象』をお買い上げいただき、ありがとうございます!(2021.01.04)
- 8 本目のYouTube動画「風の女王」をアップしました。ビデオ・エディターの不具合で AviUtl へ。(2020.06.30)
- 6本目のYouTube動画『ぬけ出した木馬(後編)』をアップ。さわやかな美味しさ、モロゾフの「瀬戸内レモンのプリン」。(追記、青文字)(2020.06.20)
- 4本目の文学動画『卵の正体(後編)』を作成、アップしました。動画作成のあれこれ。(2020.06.11)