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2008年4月28日 (月)

ひとりごと(ハーボットに早くも赤信号。息子の就活20)

 ハーボットに早くも赤信号です。

 ハーボットが住まいごと、現れたり消えたりし、ようやくまともに表示されたと思ったら、本来赤いごはんを食べているはずが、ブルーのごはんを食べさせられていたりします(記事の更新が少ないとブルー、黄色、グレーのごはんになりますが、当ブログの場合、ありえません)。

 ソネットさんのブログに行ってみると、同じようなことを書いていらっしやる方々がありました。

 ブログが開きにくいのはそれと無関係かもしれませんが、あまりに変なので、非表示にしました。左サイドバーにくっついているのは、プリントスクリーン機能で保存した、散歩に出るハーボットの姿です。

 こんなものを貼りつけているとよけいに悲しいのですが、サービスの間はこれで我慢したり、様子を見て表示したり、と柔軟に対応したいと思います。最後の日まで、ハーボットを消すことはしません。

 そのあとは……もう忘れたほうがいいのでしょうか。この可愛いウッフを? 

 1月遅れのお客様のせいもあって、千々に心が乱れます。お腹が痛い。

 息子の就職活動には、特に進展は見られません。

 一時は、もし内定がとれなければ、フリーターをしながら1浪して公務員を目指すなどといって慌てさせました。

 わたしはすっかり追い詰められたような気持ちになっていたのですが、追い詰められていたのはわたしだけだとわかりました。

 当の息子は、「国家公務員の1種とⅡ種と地方公務員の上級全部を受ければ、なんぼなんでもどこかは上がるさ」と思っていたらしく、呑気なことでした。

 でも、話しているうちに、さすがにフリーターをしながらでは生活に追われるだけだということを悟ったようでした。それに、息子の住む県の地方公務員上級の化学は今年は募集がないことをいうと、「来年もなけりゃ、行政で受けるよ。法律は得意だからね」と、ああいえばこういうです。

 企業に落とされた悔しさから、公務員狙いに気持ちが走っていたようでした。研究のほうで忙しいということもあり、また、息子がいないと掃除する人がいず、研究室がゴミだらけになるそうで、そのことでも苛々していたようです。

 昨夜は、その研究室からでしたが、息子から電話をかけてきました。久しぶりに、今後のことをゆっくり話せました。

 まだ6割がたは就職できると息子は踏んでいて、わたしは相変わらず楽観的だな、と思いました。

 確かにエントリーしている企業はまだかなりあるようですが、この時期ともなると、難しいのではないでしょうか。他に2つのシンクタンクにもエントリーしたということですが、1つは時期が遅かったようだとのこと。

 ただ、息子も内定を貰えないときのことは考え出したようで、教授のお勧めもあったということもあり、就職が決まらないときはドクターコースへ進みたい旨教授に告げ、了解して貰ったとのことでした。

 幸い内部進学となるので、入学金は不要です。マスターの間の学費も、前期分は自分で用意して既に引き落とされ、後期分も貯蓄しているとか。

 研究室のバイト代は、貯蓄に回すようにしているようです。本当にドクターコースに進むと決めたら、学費の免除や、返還不要な奨学金などあれば、あれこれ応募してみるそうですが、まだ就職希望は捨てていないとのこと。

 以前、英語が苦手だから、ポスドクにはなりたくない(海外へ出れば、需要があるようです)といっていたことを思い出し、ドクターを出たあとで国内に職がない場合は海外へ出る覚悟はあるのかを問うと、「自分から進んで行こうとは思わないけれど、行けといわれれば行くし、行くしかないとわかれば行くよ。英語が苦手といっても、高校時代とは違うからね。専門では英語を使うのは当たり前だし、会話だって何とかなるだろう」

 ……と、わたしが考えるより、息子は楽観的でした。

 英語が何とかなるのであれば、東洋まで入れれば、英語が使える国は多いですから、こちらの気持ちもいくらかは楽になります。

 ドクターコースへ進めば、羽ばたくための翼もマスターのときよりは力強さを増すでしょう。就職を国内に限れば、悲観的にならざるをえませんが、限らなければ、可能性は拡がります。

 まあ息子はあくまで国内志向でしょうし、ドクターへ行けば行ったで、すったもんだするのでしょうが。

 あの村の話ですが、行方がわからなくなる博士たちって、多くが海外へ流出したってことなんじゃありませんか。

 もうわたしは、今年中に息子の就職が決まったほうがいいのかどうかさえ、わからなくなってきました。

 おそらく大学の売りであるようなすばらしい教授についている院生といえば、息子と、今年マスター1年の男性2人だけです。

 他の同じ研究室の院生は、助教授についています。わたしは息子が大学4年のときに研究室に入ったときから、人数が少ないことをもったいないことだと思っていました。

 何にしても、ハラハラはまだまだ続きそうです。本人はケロリとしたものですが、傍観しているわたしとしては身が持たない思いです。ああ、しんど。

 でも、6月中に決まらないと、息子も腹を決めざるをえないでしょう。 

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