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2008年3月11日 (火)

ひとりごと(回復しない食欲の低下、息子の就活8)

  このところ、1日1食で事足りていることは、過去記事に書いた通りなのだが、これがちょっと困ったことになってきた。

 食欲が低下したきっかけは、ニトロ舌下錠を睡眠前後に2錠ずつ計4錠使った後のことで、冠攣縮性狭心症の発作は治まったものの、気持ちが悪くなり、その後、何となく――という感じだった。

 昨日の深夜、また軽い狭心症の発作があり、ニトロ舌下錠を1錠使った。テープは1枚貼っている。

 そのあと調子は悪くなく、休日だった夫と買い物に行き、勤め帰りの娘と待ち合わせて皆で外食をした。わたしはこの日も夕飯まで何も食べていなかった。

 といってもカフェ・オ・レを作って夫と飲んだりはした。家族は、わたしがこのところ1日1食だということに気づいていない。

 というのも、日頃から1人遅れて食べることが多いため(調理器具を洗ったり、お茶を入れたり、果物を剥いたりしていると、そうなってしまう)、あとで食べたのだろうと思わせることは難しくないからだ。

 尤も、娘が突然「ママ、今日はお昼に何食べたの?」と訊いたことが2度ほどあったから、娘は少し疑っているのかもしれない。

 朝昼は抜いても、夕飯はきちんととれていたため、自分では大して心配はしていなかった。

 ところが、外食をし、その日の唯一の食事でさえ、以前ほどには食べられないことに気づき、ちょっと不安な気持ちになったのだった。

 70パーセントくらい食べたところで、まるで胃に扉があり、それが閉じたかのように、残りを食べてしまうことに気が進まなくなった。

 1人だと残してしまったかもしれない。無理に残りを片づけた。その結果、帰宅後にお腹が痛くなり、トイレに駆け込まなければならなかった。少し気持ちも悪くなった。

 その程度で治まったとはいえ、これはどうしたことだろう? 自慢ではないが、わたしはこれまで病気はしていても、食欲を失したことはほとんどなかったのだ。

 とりあえずは、今週友人と予定しているランチが課題となってきた。せっかくのランチだから、デザートも頼むことになるだろう。また胃の扉が急に閉じたら、どうしよう?

 体重はまだ1キロ減っただけだし、体調も悪くはない。が、この先が何となく心配になってきた。でも、慌てて受診しなければならないほどのものでもない。

 ニトロ舌下錠のことだけ書いてきたが、もう一つ、喘息予防の吸入ステロイド(フルタイド)もこのところ多めに使ってきた。

 そのせいか、口の中が少し荒れていて、気づかないうちに舌に傷ができ、血が出たことがあった。

 このところの食欲不振は、薬疲れではないだろうか。薬を使いたくて使っているわけではない。体調が不安定なため、使わざるをえないのだ。この時期を過ぎれば、薬の量が減り、食欲も戻ってくると思いたい。

 話は変わるが、昨夜、就活中の息子が娘に電話をしてきた。土産を送ってくれるそうだ。2社の会社説明会のため、息子は今日から2泊3日で東京へ行く。

 私立大の受験に出かけた息子が、「東京ひよこ」を土産に買ってきて、思わず笑ってしまったことなど思い出される。このことは過去記事でも書いたけれど、「ひよこ」は福岡の名菓で、息子は福岡生まれなのだ。

 娘と何か楽しい話題でひとしきり話したあと、息子はわたしと話し、大企業の選考が始まる前に、内定が1つはほしいといった。

 来週も、大阪の説明会に出向くようだ。

 そういえば、世界的シェア30~40パーセントの化学物質を製造している小ぶりの会社には、同じ大学院の化学科で無機化学の研究室にいる友人が通ったそうだ。

 彼は、同じ研究室のOBにスカウトされたのだという。

 何でも、その会社は昨年3名の学生に内定を出し、全員に蹴られてしまったのだという。今年は確実にゲットする方針だったようで、内定した友人は3回ほども入社承諾書の提出を打診されたとか。

 彼は納得がいくまで就活を続けるつもりだったらしいが、複雑な気持ちでそこに決めたのだそうだ。

 息子も、スカウトとまではいかないが、友人がいる研究室のOBから友人と一緒に誘いをかけられた。

 その化学系の会社でシミュレーションをやっているのかと息子が尋ねると、OBは「やってもいいよ。勝手に」という答えだったとか。つまり趣味でどうぞ、ということらしかった。

 友人も息子も、そこに内定すれば蹴ることはできないと思い、怖くなって避けた。

 友人のほうは、その会社より大きな某食品会社にほぼ決まりかけているそうだ。その会社は5月頃に再募集をかけるかもしれないそうで、息子はいざとなればそこへ駆け込むつもりでいる。

 駆け込み寺の役目を果たしてくれるのかどうかは、疑問であるが。。。

 息子のしてきた分子シミュレーションを行っている企業といえば、ベンチャー企業か大企業のいずれかという両極端に分れてしまうため、就活のやりにくさがあるようだ。シミュレーションにこだわらなければこだわらないで、セールスポイントをなくしてしまう。

 大学受験のとき、息子は安全策をとった。経済事情から浪人ができなかったからで、それを告げるわたしもつらかった。

 志望大学にパスするチャンスを増やすため、当時はまだ珍しかった自己推薦入試にチャレンジし、失敗した。無謀なチャレンジともいえた。

 というのも、息子は対外模試はよかったが、校内模試がよくなかったため、理科の先生は不利と見て、自己推薦で受けることに反対されたからだ。そこを無理に受けての失敗だった。

 わたしは当時から病気で、パートに出るのは無理だった。経済的なゆとりがあれば、息子も前期で第一志望にチャレンジできただろうが、浪人ができないとあっては、合格をなるべく確実にするために志望校のレベルを下げざるをえない。

 合格者の少ない後期は、あてにならない。私立大には複数合格したが、特待生狙いだった。それにも失敗した。私立大にやるゆとりも、わが家にはなかった。

 下手をすれば、高卒になってしまう。

 わたしは担任の先生に、大学受験に失敗したあとで就職先を探さなければならなくなった場合、高校側のサポートが期待できるかどうかを尋ねた。答えはノーだった。

 浪人した友人は多かった。地方の高校生は、受験対策という点で、どうしても遅れをとりがちなのだ。ましてや息子は進学塾にも行かず、公文教室一本槍だったから(わたしは独身の頃公文教室で働いていた)、受験技術という点でどう見ても不利だった。

 息子は第二志望だった大学を前期に受験した。

  合格発表の日、息子は「どうせ合格していることはわかっているから、発表を見る必要なんかない」といって不貞寝していた。

 息子が大学に入学したあとで、わたしは息子が予備校の名の入ったジャンパーを着ている夢を見た。どんなにか、第一志望の大学を受験したかったことだろう。

 幸い今の大学の大学院ですばらしい教授にめぐり会い、結果的によい学生生活に恵まれたとはいえ、就職活動では息子は思いっきりやりたいのだと思う。

 わたしはそんな息子を、心から応援するだけだ。

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