リルケの詩『豹』をご紹介
久しぶりにリルケが無性に読みたくなり、昔から愛読している本を開いて、あちらこちら拾い読みしていました。
すると、これまで読まずに通り過ぎていたらしい『豹』という詩が両目に飛び込んできて、そうなると、読まずにはいられませんでした。
何か不思議な感触の詩で、忘れられなくなってしまいそうな詩でした。
当ブログで一部をご紹介したリルケの「薔薇」と題された一連の詩編や『マルテの手記』などの小説に魅せられ、リルケの作品は結構読んだつもりになっていましたが、まだまだ読み残しが多いことに気づかされました。
彼の詩――小説もそうですが――には哲学的な深みがあって、こちらの準備が整っていないときにいくら読んでも、字面を追うだけで、さっぱり作品が入ってこない(作品に入って行けない)ことがあるのです。
が、ひとたび彼の詩を物にできれば、一生の財産になるという気がします。いつまでも色褪せることなく、読めば読むほど深みを増す神秘的な作品……。
ワインを口にしたかのように、リルケの詩が体内に響きわたって、わたしは酔っ払ってしまうことがあります。前掲の『薔薇』などは、読むたびに酔ってしまいます。
ワインの貯蔵庫が本の中に場所を変えて存在しているようにしか、わたしには思えないほどです。しかも、リルケという銘柄のお酒には後味の悪さが全くありません。
話が逸れてしまいましたが、『豹』という詩は有名な詩であるようです。この詩の訳者、冨士川英郎氏の註を以下にご紹介します。
※この「豹」という詩は、リルケのいわゆる「事物の詩」のうちでもその代表的な作品の一つとされているものである。だが、この詩によっても知られるように、「事物の詩」とは単に対象を客観的に、外側から描写した詩ではない。それは多くの場合、対象たる事物を内側から把握するとともに、その事物を通じて、「存在」そのものを歌う詩となっているのである。この「豹」という詩はその一つのよい例である。この詩では、孤独のなかに置かれた存在の姿といったものが、同時にそこで歌われていると言ってもいい。リルケの「新詩集」の多くの詩はこのような意味での象徴詩となっているのである。
それでは、リルケの詩『豹』をご紹介します。
豹
パリ植物園にて
通り過ぎる格子のために、
疲れた豹の眼には もう何も見えない
彼には無数の格子があるようで
その背後に世界はないかと思われるこのうえなく小さい輪をえがいてまわる
豹のしなやかな 剛(かた)い足なみの 忍びゆく歩みは
そこに痺れて大きな意志が立っている
一つの中心を取り巻く力の舞踏のようだただ 時おり瞳の帳が音もなく
あがると――そのとき影像は入って
四肢のはりつめた静けさを通り
心の中で消えてゆく『新潮世界文学32 リルケ』(新潮社、1971年)
memo memo memo memo memo memo memo memo memo memo memo
個人的なメモ
豹になったつもりで檻を見てみなければ、格子が通り過ぎるというような発想は出てこないだろうと思う。彼は豹の体験ですら、他人事とは思っていないかのよう。
自分の身代わりとなって特殊な状況に耐えているその他者に、尊厳が付加されるのも自然なことだと思われる。
詩は力強く、それでいてたおやかだ。事物を見る彼の視線がそうだからだろう。
わたしたち人間は動物園に行って豹を見るとき、その豹がどんな状況下で捕獲され、どんな目的でそこへ連れられてきたかを想像することができる。世界における豹の位置づけができるわけだ。
が、自分の位置づけとなると、リルケの豹にも似て、よくわからないといったところではないだろうか。
理不尽なことに出くわすと、、わたしたちの目に映る世界、社会、他者、最終的には当の自分自身ですら無機的な通り過ぎる格子となって、ここはどこ、わたしは誰、と思ってしまわないだろうか。
最後の4行はプラトンの『国家』に出てくる洞窟のくだりを連想させる。
が、檻のなかをぐるぐる回り、ある瞬間に何か物の影を見る豹の姿は、謎めいて思えるほどの美しさで描かれている。
解説者はこの詩を象徴詩というが、確かにそうだろう。が、、一方、否、だからだろうか、リルケの豹の詩は、豹そのものを思い出させる。生々しいまでの造形美だ。豹のオーラ――精気――を感じさせるほどに。
当ブログにおける関連記事:薔薇に寄せて☆リルケの詩篇『薔薇』のご紹介
ウィキペディアでリルケについて知る:ライナー・マリア・リルケ
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