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2008年2月16日 (土)

体調の悪かったときに読んだ大岡昇平の『野火』

 数日、体調が悪かったが、戻った。以下は体調日記から。

今はニトロのテープを1枚貼っている。丁度いい。皮膚症状も、前にはがした何箇所かが痒く、赤く跡がのこっているが、今貼っているところは何ともない。久しぶりに腰に貼っている。ニトロのテープとの蜜月、あと何日続くのだろう?

 だいたい5日から1週間と見ているが、気温によっても変わるから、あくまで目安だ。
そのあと、はがす→はがしたり貼ったり→トラブル(体調の低下、発作)→ニトロ舌下錠の使用→ニトロのテープとの蜜月、とこんな具合だろうか。

 現在ぴったり体に馴染んでいるニトロのテープ。今は1枚で丁度いいのだが、頭痛がし出したときははがさずに、もう1枚追加してみようかとも思う。

 ところで、体調が悪いときは自分が戦場に置かれた兵士の気分になると前に書いた。そんな気分が大岡昇平の『野火』に向かわせた。

 会員になっている――今年も更新手続きをするかどうかはわからない――同人誌「三田文学№91」のアンケートによる特集で、昭和文学(戦後~昭和末年)ベストテン〔小説篇〕のトップに大岡昇平の『野火』があった。

 わたしは大岡昇平の著作を読んだことがなかった。そんなに多くの人が重んじている作品であれば、読んでおかなくてはと思い、『大岡昇平〈ちくま日本文学全集)』(筑摩書房、1992年)を購入していた。

 積ん読になっていたそれを、体調の悪い数日間のうちの加減のいいときを縫って読んだというわけだった。

 戦争を描いた小説を読むのは何となく気が重いのだけれど、端正な文体、独特の観察眼にハッとさせられた。

 幾何学的といってもいいような明晰な、それでいて、ユーモアに通じるところの大らかな観察技術は特徴的なもので、フランス文学の影響を受けているな、と思ったら、やはりそうだった。

 わたしが好きな坂口安吾にしても、織田作之助にしても、平林たい子にしても、バルザックなどのフランス文学の影響を受けている。大正から昭和にかけて活躍した作家たちで、フランス文学に薫染した人は多いようだ。

 『野火』は、精神病院に入院している元兵士が復員した6年後に手記をしたためたというスタイルをとっている。

  人肉食が絡んでくるあたりから、その技術が投げ捨てられでもしたような何かせっかちな、ちまちまとした短絡傾向を帯びた別のカラーに支配されてしまったような印象を持った。

 にわかに作り物めいてくる気がしたが、出征の経験を持つ著者であるから、どこまでが体験に根差したもので、どこからが空想の産物であるのかは著者にしかわからない。

 語り手が自分は狂人であることを明かした後の作品のエピローグ的部分に、印象的な言葉は少なくない。

[私が復員後取り繕わねばならぬ生活が、どうしてこう私の欲しないことばかりさせたがるのか、不思議でならない。
 この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る小数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼らに欺されたいらしい人達を私は理解できない。恐らく彼等は私が比島の山中で遇ったような目に遇うほかはあるまい。その時彼等は思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である。]

[不本意ながらこの世へ帰って来て以来、私の生活はすべて任意のものとなった。戦争へ行くまで、私の生活は個人的必要によって、少なくとも私には必然であった。それが一度戦場で権力の恣意に曝されて以来、すべてが偶然となった。生還も偶然であった。その結果たる現在の私の生活もみな偶然である。今私の目の前にある木製の椅子を、私は全然見ることが出来なかったかも知れないのである。
 しかし人間は偶然を容認することは出来ないらしい。偶然の系列、つまり永遠に堪えるほど我々の精神は強くない。出生の偶然と死の偶然の間にはさまれた我々の生活の間に、我々は意志と自称するものによって生起した少数の事件を数え、その結果我々の裡に生じた一貫したものを、生活とかわが生涯とか呼んで自ら慰めている。ほかに考えようがないからだ。]

[人は死ねば意識がなくなると思っている。それは間違いだ。死んでもすべては、無にはならない。それを彼等にいわねばならぬ。叫ぶ。
『生きてるぞ。』
 しかし声は私の耳にすら届かない。声はなくとも、死者は生きている。個人の死というものはない。死は普遍的な事件である。死んだ後も、我々はいつも目覚めていねばならぬ。日々に決断しなければならぬ。これを全人類に知らさねばならぬ、しかしもう遅い。]

 殺人を合理化するには、宗教を用いるしかないに違いない。マルクシズムもまた宗教のひとつだった。太平洋戦争時における日本人を支えた宗教は、天皇制と一体化した神道だったのだろう。

 これは神学的に複雑な内部構築に支えられてはいず、この島国における伝承に依存した一種の物語であり、詩であり、薫りであったから、知性にというよりは情緒に訴えかける性質のものだったのではないかと戦後生まれのわたしは想像する。

 己が肉の臭いが増す極限状態では、すめらみことの芳香は四散してしまうのだろう。

 語り手も著者もキリスト教に耽溺した少年期を過ごしているのであれば、クリスチャンの聖餐と人肉食を関連づけた語りがあってもよさそうな気がしたが、それはなかった。いくぶん旧約聖書的な《神》が、漫画的に登場しただけで終った。

 プロテスタンティズムにおける聖餐は、カトリシズムにおける聖餐のような秘跡の意味を持っていず、儀式の域を出ないようだから、著者すなわち語り手の注意が聖餐に向かなかったということもあったのかもしれない。

 わたしはクリスチャンになりたいと思った時期があったが、どうしてもカトリシズムにおける聖餐を受け入れることができなかった。

 ミサを傍観するわたしの目の前で、司祭の指で薄いパンが信徒の口に入れられ、葡萄酒が口に滴り落とされるシーンは、わたしには異様な光景だった。パンはそのときキリストの体に、葡萄酒は血に変化するとされるのだ。理由づけはどうであれ、何とも気色が悪かった。

 共食いをするというハムスターを家族が買ってきたとき、わたしは肉を与える実験を試みずにはいられなかった。幸い、ペットショップでは肉食の習慣はつけられていなかったようだった。その後も、わたしは実験を試みずにはいられなかったが、全部で1ダースほど飼ったハムスターはどの子も、肉には目もくれなかった。

 そういえば、子供の頃にお世話になった家政婦さん(字が書けなかったこの小母さんは在日外国人だったと思う)が、復員した兵隊さん(その兵隊さんが日本人であったのか、どこでそんなことがあったのかなど、詳しいことは知らない)から聞いたという人肉食の話をしてくれたことがあった。

 その肉の味がどんなものだったかという内容だった。残念ながら、よく覚えていない。淡々とした語りだった。わたしは子供心にそれを作り話と思った、思いたかったのかもしれない。

 また体の弱かった彼女が親にだまされて赤犬の肉を食べさせられた話もしてくれた。犬の肉と知って嘔吐したというその犬の肉の味がどんな味と聞かされたのかも覚えていない。

 だが、『野火』の語り手のような飢餓状態にあるときに、人肉を動物の肉といわれれば、嘘とわかっていながら食べないとはいいきれない。

 というのも、標本にされていた夫の切り取られた腸の回盲部――虫垂炎のためにできた無害な肉芽を悪性腫瘍と誤診されて切り取られたのだった――はあまりにも牛肉にそっくりで、それを牛肉といわれれば、飢餓状態では食べるのかもしれないと思わされるほどだった。

 テレビ番組『世界ウルルン紀行』ではタレント――うら若き乙女もいる――がずいぶんいろんなところへ行かされて、爬虫類だろうと、虫だろうと、食事という形式で食べさせられたりする。南方で飢餓に陥った昔の日本兵くらいしかそんなものは食べないだろうと思い込んでいたわたしは、そうしたシーンを初めて見たとき、心底驚いたものだ。

 『野火』の語り手が狂ったのは、いうまでもなく、彼がタブー意識に生きていたからなのだ。厳然とタブーが君臨しえる世界における物語なのだ。

 近頃の巷では、人を人とも思わぬような凄惨な事件が多発している。『野火』が書かれた時代と比較すると、今の日本は何でもありの神なき世界の様相を呈して、かつてのタブーも力を失い、何が起きるか全く見当のつかない空恐ろしさがある。

 ところで、わたしは不倫を題材とした『侵入者』という短編小説を書いたのだが、それに出てくるヒロインの心境には、ところどころ、『野火』の語り手の心境に通ずるものがでてくる。名作『野火』と照らし合わせるなど、不謹慎の謗りは免れないだろうけれど。 

  大岡昇平『野火』よりは、わたしは淡々とした筆致の石川達三『生きている兵隊』により考えさせられた。

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