「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第88回
途方に暮れたわたしは、イサエガをぽつねんと見つめました。
「わかりませんわ。どうしてだか、自分でもわかりませんの。数々の理由を取り除いてみたら、御子をお護りしたいという気持ちも消えるのかしら。でも、そうしたら、このわたしも消えてしまいそうですわ。あなたは、や、夜盗のような真似を、どうしてなさいました?」
「わたしは今さると処に公孫氏政権の高官を匿っている。しかし病弱だった令室と幼い令嬢は死んだ。政変のショックとむごい船旅のためであろう。
司馬懿(い)の指揮した魏軍は4万人、過去に蜀の諸葛孔明指揮下の軍と交えた最強部隊である。公孫氏官僚に対する魏軍の残酷さは、想像を絶するものであったということだ。
魏が如何に、東方が呉寄りになることを懼れたかの証拠だな。
そなたも知っているように、わたしの目標とするところは平等の確立、その手段は冨の分配だ。冨は物質的冨だけではなく、最も文化的な――すなわち情操的、霊的冨も含まれるのである。
公孫氏政権の許で培われた高官の人脈は、朝鮮のみならず、中国江南の呉にまで及ぶ。
そして、女王連合国が帯方郡を通じて盛んに交易を行なって来たように、クナ国は旧くから東シナ海を渡って、江南との直接交易を行なって来た。体面と才(ざえ)と雅を後生大事に宝玉の上に頑固に居座り続けている、かの銀色の髪を戴くオールドミスを」
「ひ、ひどい言い方は許しませんよ」
「……かの銀色の髪を戴く老婦人を突き崩せば、クナとこの地との通いも不可能ではない。これぞ、わたしの大望が走る回路だ。
回路に力が漲れば、分配、平等、兼愛(※12)に基づいた一大文化圏の成立も夢の話ではない」
「分配、平等、兼愛に基づいた…・・・ですの?
あなたの思想には目覚しい力が感じられて、心が震えるほどですのに、わたしが馴染んで来た物の考え方とはひどく異なる薫りがいたしますし、また、指標のない物の考え方のようにも感じられて、わたしを怯えさせますの。
あなたは大国を甘く見過ぎてもいますわ。魏は朝鮮を経ての遠い北方にあり、風俗も異なればこそ、それがクッションとなって、倭国の脅威になることが回避されているのではないでしょうか。
逆にクナの国は、同じ倭国にあって、風俗が異なり、力は拮抗しているだけに、危険ですわ。しかと境界を設けて共存してゆくか、でなければ、どちらかが呑み込まれるしかないと思えますの」〔続〕
註
12 戦国時代に墨子が提唱。親族、他人を区別しない、無差別、平等な愛。
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