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2007年10月17日 (水)

能『船弁慶』を観て

 この市に引っ越してきたときに、能楽堂があることに驚きました。

 九州で能楽堂といえば、福岡の大濠公園能楽堂が有名ですが、少ないのではないでしょうか。

 わたしが初の能体験をしたのは30代の頃で、福岡県飯塚市にあるホールで『杜若』を観、夢心地に誘われました。

 それに触発されて、思わず当ブログで公開している掌編「杜若幻想」「牡丹」を書いたほどです。

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 世阿弥の『風姿花伝』『花鏡』を読んでもう恍惚となり、ますますのめり込んで、前出の大濠公園能楽堂にも出かけたりしましたが、その後パッタリ行けませんでした。

 この街に能楽堂があると知り、行きたいと心は逸りましたが、またのめり込むことにでもなれば、楽しい反面辛いな、という思いもありました。

 でも、昨日、ついに出かけてしまったのですね。40代も終ろうとするときになって……。

 ああ、いつか新作能の脚本を書いてみたいなあ。

 などといえば、ろくに能のことを知りもしないくせにと叱られそうですが、神秘主義者のわたしにはぴったりくる世界ですし、古典、新作、どちらの脚本を読んでみても、大した長さではなく、俳句と同じで、ある型にはめ込めばよい気楽さがありそうで(などといっては、ますます叱られそう)、文体も頑張れば何とかなるのではないでしょうか。数年間、しっかり勉強し、取り組めば。

 前置きが長くなりましたが、能を鑑賞して不思議なのは、いつまでも、その余韻が消えないときがあることです。どれもそうというわけではありません。『杜若』の装束の薫るような美しさは、今もはっきりと記憶にあります。

 今回鑑賞した曲目は、見所の多い『船弁慶』でした。それが、舞台を観ているときは、あの一瞬、この一瞬が印象に残った程度で、実はわたしは舞台に失望していたのでした。

 シテ(主役)が予想外に小柄で、まるで女性のよう。芸も大人しすぎるように思えたのです。前シテは静(源義経の恋人、静御前)、後シテは平知盛の怨霊で、演じたのは同じ人です。

 長身の役者が凛々しい静と勇壮な怨霊を演ずるーーといった類の派手な芸を勝手に期待していたわたしは、期待が裏切られた恨めしさを覚えながら能楽堂を出、がっかりして帰宅したのでした。

 ところが、不思議なことに、時間が経つごとに、橋掛かりに佇む前シテの無言の姿が、いじらしい、かけがえのないものとして脳裏に浮かび上がるのです。繰り返し、何度も。

  それとダブるように、後シテが物柔らかな舞の中からこちらに面を向けたときの狂気の表情が露わになり、戦慄させられます。否、能面が表情を変えるわけはないので、気の触れた人の金光りする目を確かに見たような錯覚を覚えたということになります。

 そして、それに被さるように、後シテの絢爛豪華な装束の白銀の輝きが、意識にクローズアップされるのでした。その白銀の輝きは、あたかも浄化の焔のようです。

 感激は、何て遅れてやってきたのでしょう! でも、神秘主義では、高貴な影響力ほど、鈍重できめの粗いこの現実世界(物質世界)で実現するのに、時間がかかるといいます。固定観念に囚われていたわたしが、シテを演じた役者の芸をすばらしいと感じるには、時間が必要だったのでしょう。

 わたしは自分が期待したタイプではない役者から、期待したようでない『船弁慶』の解釈を贈られて困惑し、一旦は拒絶したけれど、時間が経ってそれを受け入たというわけです。結果的に、新しい感覚を身につけることができたような気がしています。いくらか生まれ変わった気がするほど……。シテを演じた武田志房氏、すばらしい能楽師ですね。

 義経は子供が演じますが、子方を演じた鷹尾雄紀くんは、小学校の中学年くらいでしょうか。子供とは思えない落ち着きで、上手でした。顔立ちもなかなかのハンサムボーイで、将来が楽しみです。「その時義経少しも騒がず」というセリフ、可愛らしかったなあ。

 船頭を演じた野村万禄氏は、狂言『附子』のシテとしても活躍されましたが、一緒に出かけた娘とわたしは万禄氏に魅了され、ずっと彼を褒めていて、「でも、船弁慶のシテはもう一つだったわね。重要無形文化財保持者だなんて、本当かしら」なんて、武田氏には失礼なことをいっていたのでした。

 それが、あとになって武田氏に……。

 ちなみに、入場料は、一般・全席自由で4,000円、学生席で1,000円でした。

 『船弁慶』のあらすじを、「NHK 日本の伝統芸能 能・狂言鑑賞入門」(日本放送出版協会、平成2年)から紹介しておきます。

 源義経は、讒言によって頼朝から疑われ、兄弟不和となります。そこで西国へ落ちのびるため、弁慶ら家来を作って津の国大物浦へ到着します。そこに静御前が義経を慕って来たので、弁慶は義経の了解を得て静を訪ねます。

義経に帰京を言い渡された静は、別れの悲しさに涙します。名残の酒宴が催され、静は勧められるままに、中国の越王勾践と陶朱公の故事をひきつつ、別れの舞を舞い、泣く泣く一行を見送ります。

 別れの悲しさに出発をためらう義経をはげまし、弁慶は出航を命じます。船が海上に出たところで、にわかに風が変わり波が押し寄せます。船頭が必死で船を操っていると、海上に平家一門の幽霊が現れます。

中でも平知盛の怨霊は、自分が沈んだように義経をも海に沈めようと、長刀を持って襲いかかって来ます。義経は少しも騒がず、刀を抜いて知盛の怨霊と戦います。

そこを弁慶が押し隔て、相手は亡霊だからと言い、数珠を揉んで神仏に祈ると、知盛の怨霊はしだいに遠ざかり、ついに見えなくなってしまうのでした。

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