バーデン市立劇場のオペラ『椿姫』雑感
バーデン市立劇場のオペラは、うーん、まあミラノ・スカラ座によるカラスのオペラのCDなどと聴き比べなければ……。
比べてしまったけれど。
悲劇的な結末へと向かって雪崩れこんでいく後半部と比べると、恋人たちの背景を丹念に描き、しっとりと恋心を謳いあげる前半部により歌唱力が要求されるのではないだろうか。
その前半部が、バーデンのュゥリィア・コォッチィーはまずかった。硬く、1本調子で、大御所カラスのCDと聴き比べれば、欠伸が出るほどのつまらなさだった。声量に欠けるのだろう、キンキンと耳に喧しい。
後半部になると、声に潤いや柔らか味が加わって、ずっとよくなったことを考えると、前半部は調子が出なかったのかもしれない。
横たわって歌うあたりから、声に伸びが出てきた。よくも横になりながら、あそこまで声が出るものだと感心した。この歌手、立って歌うより、横になって歌うほうが得意なのではないか、と思ったほど(一緒に行った娘も同じことをいっていた)。
受付で手渡された『椿姫』解説書では、椿姫のモデルとなった女性について、たっぷりと頁をとってある。写真なども豊富で楽しめるが、翻訳がネーティブ・スピーカーの発音に忠実すぎるのか、はなはだ読みづらい。前掲のュゥリィア・コォッチィーというソプラノ歌手の名前の翻訳からも推し量れることと思うが……。
わたしが持っているカラスのCDの『椿姫』ではヒロイン、ヴィオレッタ(原作ではマルグリット)が長椅子に倒れこんで終焉を迎えるようだが、ュゥリィアの『椿姫』では、短距離選手がダッシュでゴールに駆け込むが如く、恋人の腕の中に飛び込んで息絶えた(あれだけの体力があれば、死なないだろう。ついでにいえば、メイドさんが、血にまみれた枕を、ベッドメーキングのときに新しい枕の下に押し込んだのだ印象的だった)。
いずれもしても、ヴェルディのオペラ『椿姫』は、ヒロインが恋人に再びまみえることなく身罷った原作の結末とは、かなりの違いがある。
楽団の演奏に関しては、可もなく不可もなし、といったところか。音はよく出ていて、響きもよかったが、オーストリアの楽団らしいウィンナ・ワルツの似合いそうな微温的ともいえる音楽性で、際立った個性といったものは感じられなかった。
と文句ばかりいうようだが、カラスと比べるわたしがいけないのだ。いや、それにしても、前半部の退屈さに思わず眠りこけそうになり、が、そこで、ヒロインの耳障りなキンキンした歌声で眠りを妨げられるという二重苦!
それに、カラスのビブラートの美しさに比べると、譬えれば呂律がまわっていないかのようなビブラートだった。全てにおいて中途半端な歌唱力というべきか(ほらまた、もうカラスと比較するのは止め~っ! 後半部の健闘を称えようではないか)。
オペラは原作とはかなりストーリーが違うようだが、あれはあれでいいと思う。原作そのままでは、オペラとしてはあまりに盛り上がりに欠けることになるだろう。
後半部、愛する人と再会し、結婚生活をスタートさせるという現実的な希望が湧き、彼の父親の祝福まで受けるというオマケまでついて、これはもう何が何でも生き永らえねばという決意が湧いたヒロインの生に対する執念は、まるでスポ根物のようだったが、演じ歌うュゥリィアの若々しさがそれを嫌味のないものにしていた。
思えば、ヒロインはずっと日陰者として生きてきたのだった。下層階級に生まれ、家出をしてパリにきて、高級娼婦として生きてきた。彼女が望んでそうした生き方を選びとったはずもなく、そうした生き方を余儀なくさせられたのだった。
それが、ようやくここへきて、影の世界から光の世界へと足を踏み入れることが可能となったのだ。
地方官吏の家に生まれた恋人は、光の世界を象徴する存在であり、彼の父親は、その光の世界へと通じる狭き門のところに立って、不審者を入れまいと目を光らせている門番ともいうべき人物として描かれている。
ヒロインにとっては、死は天国を約束するものではありえず、恋人と生きることこそが天国を意味するものだった。死ねば、また再び影の世界へ、地獄へと転落するかもしれなかった。
そんな彼女の切実さ、あがきが、オペラではよく伝わってきて胸を打たれた。
そういえば、オペラには中年のカップルが沢山きていた。そろそろ死を感じ出す年齢の男女。何を思いながら、オペラ『椿姫』を味わったのだろうか。
上にも書いたように、『椿姫』解説書では、椿姫のモデルとなった女性アルゥpフォンシィーヌ プレsシィ マリィイ ドュプレsシィイについて詳しい紹介がなされている。それは次のような文章で締めくくられている。
女性は花に思いをよせるもの…、しかし肺を病む人は花からとおざかる…。花の薫りに咽んで肺が悶えるからだ。その人はいつも椿の花を身に添えるようにしていた。椿の花には香りがないから…。すらりとして、絹のような漆黒の髪が目をうばう…。品位をそなえた卵型の面映えに紅色の美しい唇、そして透き通るように白い肌をしたこの麗人の、著名な貴族紳士たちが名をつらねたパリの一流社交界の花形の、その死はその人々の心を悲しく痛ましめた。
刺激臭のない花を、肺結核であったその女性は好んだということだったようだ。
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