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2007年10月10日 (水)

されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。

 今夜の外出は強行したいと思っているが、膀胱炎が遠のいたり近づいたりしている現状では、ぎりぎりまで行けるかどうか、わからない。
 膀胱炎も心配だが、人が多く集まる中での喘息の発作も心配なので(香水などの刺激臭だけで、発作が出ることがある)、フルタイドを多めに使わなければならない。ニトロのテープは貼っていたほうが無難か……低血圧になってフラついても困るけれど……。

 今夜の外出の目的は、『ウィーンの森 バーデン市立劇場 オペラ「椿姫」』

 アレキサンドル・デュマ・フィス著「椿姫」を読んだのは、中学1年か2年のときで、母が購入してくれた岩崎書店「ジュニア版 世界の文学(全35巻)」の中の一冊だった。

 結核を病むパリの高級娼婦と田舎の良家の出である若者が愛し合い、そして引き裂かれるメロドラマの代表みたいな作品ではないかと思うが、どうして、どうして、ただの甘ったるい悲恋物とはいえないリアルなところがあって、中学生のわたしは真の恋愛というものの凄まじさにたじたじとなった。とりわけ、小説の冒頭部分にくる場面には圧倒された。

 その場面では、アルマンが既に亡骸となった恋人マルグリットの墓を墓地移転という手段をとってまで発(あば)き、彼女の死を確認しようとするところが描かれていたのだった。

 その名場面(?)を、ブログをご訪問くださったあなた様に、ジュニア版「椿姫」から庄野誠一訳でご紹介したい。 

棺は、かしの板でできていた。人夫たちは、ふたのねじ釘をはずそうとした。が、土の湿気でねじ釘がさびついてしまったので、なかなか骨がおれた。ようやく、ふたがあけられると、とたんに、むっとするような、いやな匂いが、私たちの鼻をついた。人夫でさえ、後ずさりした。
「ああ!」
 アルマンは、思わず顔をそむけた。その顔は真青になっていた。
 棺の中には、大きな白い布が死体をおおっていた。が、その一方のはしから、死体の片足がのぞいていた。
「さあ、急いでやろうぜ」
 と、警官が、顔をそむけたままでいった。
 すると一人の人夫が、死体をおおっている白い布のはしをつまみ上げた。とつぜん、マルグリットの顔があらわれた。
 それは見るも恐ろしい光景であった。
 目はもう二つの穴になり、唇はあとかたもなく消えて、白い上下の歯並を、かたくくいしばっていた。黒くて長い髪の毛は、こめかみにへばりついていた。だが、そんなすさまじい顔の中にも、あの美しいマルグリットのおもかげが、まだのこっていた。

 こうして書き写してみると、それほどまでの描写ではないような気もするのだが、中学生のわたしにはショッキングなものだった。その前の部分に、生前のマルグリット・ゴーチェはこう描写されていた。 

その上品な卵形の顔には、まっ黒な目がかがやき、ながいまつげが、バラ色の頬にかげを落としていた。鼻はかっこうよくのび、ふっくらとしたかわいい唇がほころぶと、真珠のように白い歯がのぞいた。髪の毛は、美しい顔のまわりに黒く波うち、両方の耳には、四、五千フランもするダイヤのイヤリングがかがやいていた。

      これはまさしく、蓮如上人の御文章にあるような事態の推移といえる。すなわち――

されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちにとぢ、ひとつのいきながくたへぬれば。紅顔むなしく変じて、桃季(とうり)のよそほひをうしなひぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりて、なげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて夜半のけむりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり、あはれといふも中々をろかなり。

 結核患者であるマルグリットの咳き込む様子も写実的で、老病死の中の少なくとも病と死が匂いを放ちすぎるこの小説を読みながらロマンティックな気分に浸るなどという芸当は、中学生のわたしには無理な話だった。娼婦、妾というようなことの意味もよくわからなかった。

 で、今夜のオペラで、仮にわたしの喘息の発作が出て大いに咳き込んだところで、演出をさらに効果的にする役目を果たすだけではないかと思うのだが……そんな訳はないか。

 「椿姫」はジュニア版でしか読んだことがない。現在のわたしが完訳版を読めば、新たなる発見があるかもしれない。ちなみに、ジュニア版「椿姫」の解説には、次のようなことが書かれていた。

 『椿姫』の女主人公マルグリット・ゴーチェは、1845年ころのパリの社交界でさわがれたある婦人をモデルにしたものだといわれている。彼女はいやしい身分の出でありながら、侯爵夫人かと思うほど優雅な気品をそなえていたそうである。そして当時の文献によると、彼女がいつも買っていた花屋の請求書には、椿の花という字がたくさん書いてあったという。マルグリットが椿の花を特に愛し、そのために『椿姫』というあだ名をつけられたという点も、おそらく事実であったようである。

 マルグリットが老公爵の妾となったのは二十歳のときだったとあることを考え合わせてみると、なかなか渋い花の趣味であるように思えるのだが、フランスでは椿はどんなイメージを与える花なのだろう? 

 白薔薇などと比較すると、白椿からはどうしても陰性の感じを与えられる。白椿の花弁の美しさは何ともいえないし、花が丸ごと落ちてしまう椿の花は、日陰者として生き、若くして亡くなる薄幸の美女にはぴったりの花だという気がする。

関連記事:バーデン市立劇場のオペラ『椿姫』雑感

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