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2007年9月11日 (火)

息子のメール

 リンドグレーンが生きた時代のスウェーデンの歴史について知りたいと思い、歴史好きの息子が電話をかけてきたりしないかなあ、と思っていたら、丁度かかってきた。

 

 息子は安倍政権について話をしたかったようだが、リンドグレーンの生きたスウェーデンについて知っていたら簡単に教えてほしいといってみた(家事の途中だったので)。生誕100周年だというと、戦争とは切り離して考えられないといい、話してくれた。

 息子はわたしには政治、歴史、生活に関する話題、姉には野球、漫画、自分のバイトや姉の書店の仕事の話題――と使い分けて話すことにしているようだ。現在大学院のマスターコース1年で、理論化学の研究室に入っている。

 そろそろ就職活動に入るのだが、理論化学は就職にはあまり向かないようで、大変だろうと思う。

 今いる街に愛着があるようで、あまり遠くには行きたくないようだが、近辺に就職先があるだろうか。指導を受けている教授ではないが、同じ研究室の助教授が、昨年間違えて(?)、就職の話を持ってきてくださった。そこだと、そんなに遠くに離れずに済んだだろうが……。

 天才肌の教授、助教授らしいが、息子は両先生の研究室に入って、ずいぶん人間的に成長した。魅力的な先生がたのようだ。本当はドクターコースにまで行きたいようだが、ドクターにまで進んだ場合の就職の困難さを想像すると、それは考えられないという。

 これを書いている今、息子が携帯にスウェーデンの歴史に関する追加説明のメールをよこした。

北欧の歴史は学校ではあまり教わらないが、それはとても残念なことだと思う。北欧の歴史は、西欧や中国の歴史のような優雅さや雄大さはないが、独特の感性と誇りを感じる。

北欧四ヶ国(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド)は中世の間、対立や同盟、合同を繰り返してきたが、近世以降、ノルウェーがデンマークから、フィンランドがスウェーデンから分離したと思えば良いと思う。

二十世紀に入ってからのスウェーデンが一番根幹としたのは中立だった。これを守るため、スウェーデンはかなり辛い思いをしている。特に、第二次大戦の時がそうだった。これはスウェーデンに限らない話で、フィンランドはソビエトに謂れのない戦を仕掛けられ、英雄マンネルハイムを先頭に敢然と絶望的な戦いに立ち向かった。デンマークとノルウェーはドイツの奇襲を受けたが、デンマークはイギリスに見殺しにされ悲哀を噛み締め、ノルウェーは凄惨なレジスタンス戦となった。一方、スウェーデンはどこにも侵略されなかった。しかし、それは戦争に囲まれた中での辛い中立国だった。

中立と言っても、ただ黙っていれば、それが保証されるわけではない。対戦が勃発すると、スウェーデンは五十万の兵員を動員し、中立を守るために壮絶な覚悟を決めていた。五十万と言っても、どれだけの無理かピンと来ないかもしれないが、そのうち、十万が婦人部隊にせざるを得なかったと言えば、いかに窮地だったか分かると思う。ドイツからは様々な要求で、自分達に味方するよう脅されていて、これをスウェーデンは忍耐をかさね、ぎりぎりまで受け入れ、またぎりぎりまで拒否し、中立は形骸化されつつも自国の中立を守った。しかし、連合国のイギリスからは中立違反を非難され、ドイツと戦うノルウェーからは兄弟を見捨てるのかと怨まれた。それでも、スウェーデンはドイツが崩壊するまで中立を耐え抜いた。後世、大戦中のスウェーデンについて、「大戦中、利己的に有利な方を助けた」と評判はよくないが、私は独立を守るための瀬戸際の駆け引きだったと思う。

戦後は、多分この経験が元だと思うが、重武装中立が基本的な理念のようだ。自らの軍事力で自国を守るという思想で、民間防衛機構や国民のほとんどを収容できる避難壕まであると聞く。

政治的には戦前から社民党の内閣が続いているが、これが、現実的な社会政党で、社会主義自体にはこだわらず、議会主義、王政を認め、福祉を重視した。

歴史を見ると、スウェーデンは外交、内政、それぞれ、優れたバランス感覚を示して、このバランス感覚が特徴だと思う。

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