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2007年9月27日 (木)

父の問題 その十二:文学作品に見る精神障害者たち

 昨日――9月26日は、父夫婦が検察庁にわたしたち姉妹や親戚の人々のことを訴えに行くといっていた日だった。

 そのこともあって、ひどく気が滅入り、昨日一日、こちらまで狂い出しそうな気分に囚われていた。

 夜になって、次の文章を『マダムNの創作ノート』に綴った。

「父夫婦のことを考えれば、何をしていても、何を書こうとしても、空しい気持ちに囚われる。あの無機的な目を思い出すと……。
 人としての品位を失くしたあの間の抜けた、それでいて金属的鋭さのある表情がたまらない。
 狂人をうまく描いた小説があっただろうか? 狂人の心理に立って書かれた佳品はロシアの作家にいろいろとあるけれど。思い出せない」

 文学に馴染んできてよかった、とつくづく思う。

 ありがたいことに、わが国の呼びかたで、いわゆる純文学と称されてきたところの格調高い芸術作品の中には、崩壊しそうな心情のときに、理性に立ち返らせてくれたり、慰めをもたらしてくれたりするものが数多く存在するからだ。

 気持ちが落ち着いた今日、改めて、精神障害者を描いた文学作品を本棚から出してきて、頁をめくってみた。

 作者自らが狂っていきながら綴った、壮絶な作品というものも、文学界には多く存在する。

 それを考えれば、精神の障害に見舞われた人々というのは、いつも狂いっぱなしというわけではなく、その症状には大小の波があって、正気に返ったり、ひどくおかしくなったり、いくらか変であったりといった変化を繰り返しながら、だんだん、全ての人間がそうであるように死へと赴くのだろう。

 現に、調停1回目と2回目の父とでは、別人のような違いがあった。勿論、わたしが父のことを、保護の必要な人として見ているか、曲がりなりにも社会人として見ているかによっても見えかたは違ってくるのだろうが、それ以上に、父のほうにやはり変化を感じさせるものがあるのだとしか思えない。

 心情的にこちらに歩み寄り、いくらか――いくらかでも――わたしたちに心を開きかけた父、また母のことで正気に返ったかのような明晰な美しい光を目に宿らせた父と、わたしたちを金光りするように見える、傲慢な目つきで拒絶し、わたしたちをからかうかのように誹謗し、追い詰めることしか目論んでいないかに見えた父とでは……。

 大学時代から友人づきあいがある統合失調症の女性についても、大小の波を感じてきた。

 第2回目の調停のとき、父夫婦は、わたしたちを苦しめる奇矯なことばかりいって平然としている、文字通り狂った人々にしか見えなかったけれど、その症状に波があるのだとすれば、いい状態のときには、自分や自分たちの状態に得体の知れない怖ろしさを覚えたり、苦しんだりしていることもあるのではないかと想像されるのだ。

 精神疾患を病むもとで書かれた佳品に、ガルシンの『あかい花』(1883年)がある。この作品では、狂った人が精緻なまでによく描写されている。その一部分を、『あかい花』(神西清訳、岩波文庫、1937年)から引用してみたい。

 彼は癲狂院にいることを意識していた。自分が病気だということさえ意識していた。ときどきはあの最初の晩のように、終日の狂おしい運動のあとに来た静寂のさなかで、四肢のずきずきする鈍痛と、頭の恐ろしい重さとを感じながら、それでも完全に意識を取り戻して目ざめることがあった。

おそらく深夜の静寂と薄明かりのなかでは外界の印象が欠けていることと、またおそらくは目をさましたばかりの人間の脳髄の働きの鈍さが、そうした瞬間に自分の状態をはっきりと認めさせ、あたかも健全であるかのような相を呈させるのであろう。

しかし夜が明けると、さし入る光とともに、また病院の生活の目ざめととともに、またしてもさまざまの印象が大波をなして彼を取り囲むのだった。病んでいる脳髄はそれらの印象をも扱いかねて、彼はまたもや狂人になってしまうのだ。

彼の状態は、正しい判断と妄想との奇妙な混合物だった。

 そして主人公は、幻覚と狂った思考の中であかい罌粟の花が諸悪の根源だと断じる。その場面は、次のように描写されている。

あの燃えるようなあかい花に、世界のありとあらゆる悪が集まっていたのだ。彼は罌粟からは阿片の採れることを知っていた。おそらくはこの考えが枝葉をひろげ、異様な形をとって、すさまじい奇怪な幻影を彼に作り上げさせたのであろう。

彼の目にはその花は、ありとある悪のこり固まってできたものと映った。その花は、罪なくして流された人類の血を一滴もあまさず吸いとり(だからこそあんなに真紅なのである)、人類のあらゆる涙、あらゆる胆汁をも吸いとったのだ。

それは神秘な恐るべき存在であり、神の反対者であり、さも内気そうな無邪気そうなふりを装う暗黒神であった。

 彼は、病室の窓から見えるあかい罌粟の花を摘みとることに命を懸けることになるのだが、その間、医療従事者たちは次のような会話を交わしているのだった。

「暴力には訴えたくないものだが」と科長がその助手に言った。
「しかし先生、あの猛烈な運動だけはやめさせなければなりますまい。今日の体重は93フントでした。この調子でいくと、2日たてば死んでしまいます。」
 
科長は考え込んだ。――「モルヒネか? クロームか?」と半ば問うように言う。
「きのうはもうモルヒネもききませんでした。」
「縛れと言ってくれたまえ。だが僕は、まず助かるまいと思うよ。」

 このあと主人公は病室を抜け出して最後のあかい花を摘みとり、また自分の部屋へ戻ると、力尽きて寝床へ倒れて死ぬ。彼が花を摘みとろうとする瞬間の描写は、何ともいえないリリカルな美しさを放っている。

 彼は昇降口のそばの例の場所めがけて、ころぶように走って行った。罌粟は花弁を閉じて、露のおりた草の上にくっきりと浮き出しながら、小さな頭を黒ずませていた。

「最後のやつだ」と病人はささやいた、「最後のやつだ。きょうこそは勝つか死ぬかだ。だがもうおれにはどっちだって同じことだ。しばらくお待ちください」と彼は空を仰いで言った。「もうすぐにおそばへ参ります。」

 定めし、わたしたち姉妹は父夫婦にとって、ガルシンの小説の主人公にとってのあかい罌粟の花にも似た存在なのだろう。

 いやいや、それにしては、父夫婦はそれほど恐るべき存在であるはずのわたしたちに対して、ガルシンの主人公の半分の緊張感も畏怖の念も感じているようには見受けられず、感じられるのはただ自分たちのことばかり。

 精神を病んでいるといっても、この違いが病気の種類によるものなのか、その人の人柄、教養、思想などの反映によって狂いかたに違いが出てくるのか、わたしにはわからない。

 他にも、ゴーゴリの『狂人日記』とか、医師であり結核患者であったチェーホフの『黒衣の僧』などは、狂っている人の内面描写に長けた優れた作品なのではないかと思う。

 それから、わたしは父たちが2人ながらおかしいことに対する疑問が長いことあったのだが、第1回目の調停のときの看護師さんの、一方のおかしさが他方に影響を与えて2人ながら……というケースは案外あるという言葉に考えさせられるものがあった。

 第2回目の調停のあとで、父たちのことを考えれば考えるほど、わたしは自分まで狂い出しそうな恐怖を感じたりもしたから。

 チェーホフの『六号室』、ギリシア悲劇作家エウリピデスの『バッコスの信女』、西鶴の『好色五人女』などは、狂気が他者に与える影響をよく描いている。

 西鶴の『好色五人女』巻一では、濡れ衣を着せられて処刑された清十郎を想うあまり気が狂ったお夏の、その狂気に影響を受けた女たちのことが、こう描写されている。『対訳西鶴全集三 好色五人女・好色一代女』(麻生磯次・冨士照雄、明治書院、昭和49年)より、抜粋ご紹介したい。

皆々是をかなしく、さまざまとめてもやみがたく、間もなく泪ふりて、「むかひ通るは清十郎ではないか、笠がよく似たすげ笠が、やはんはゝ」のけらけら笑ひ、うるはしき姿、いつとなく取り乱して狂出ける。

有時は山里に行暮て、草の枕に夢をむすめば、其のまゝにつきづきの女もおのずから友みだれて、後は皆々乱人となりにけり。

 しかし、幸い、お夏はやがて正気に返り、出家して、よい尼僧になったのだった。

 わたしたち姉妹は、父夫婦から濡れ衣を着せられているといってもいいが、まさか検察庁にまで行くとは想像していなかった。これも、世の権威ある人々からあっちへ行け、こっちへ行けと回された結果だと思えば、複雑な心境になる。

 どうして、彼らは、ここでは解決してあげられないとだけ、いってくれないのだろう。それでも粘るほどのことは、父たちもしないだろうに。

 ところで、昨日わたしは新しいブログ「マダムNの神秘主義的作品」を立ち上げ、最初にご紹介する作品として『枕許からのレポート』という23歳のときに執筆した作品を連載し始めた。

 この作品は、父からかけられた濡れ衣のうちの一つを晴らす証拠となる作品だと自分では考えている。このことに関しては、そのうち別の記事で詳しく書くことにしたい。

 10年あまりもの間、父たちがあれこれいい立てることで、わたしたち姉妹の品位をどれほど傷つけ、心身を損なってきたことかを、正気に返らせて訴えられればどんなにいいことかと思う。

「父の問題」は、サイドバーのカテゴリーにあります。 

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