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2007年8月 3日 (金)

ひとりごと(父の問題 その八:家庭裁判所に電話して訊いたこと)

 家庭裁判所からわたし宛に呼出状が届いたことは前に書いたが、何せ病人のわたし。不安定な体調が不安。

「注意3  正当な理由がなく出頭しないときは、家事審判法27条により過料に処せられることがあります。」という文言も、何やら怖ろしげ。具合が悪かろうと、死にそうであろうと、這ってでも行かなければならないのだろうか?

 家庭裁判所に電話をかけて、訊いてみることにした。

 わたしがかけた電話は、総合案内から裁判所書記官へ。

  それによると、「具合が悪いときはその旨届ければ、いいですよ」とのこと。その場合は過料に処せられることはないとのこと。娘がついてくるといっているので、待合室があるどうかも訊いてみた。

 待合室はあるそうで、そこまでなら付き添いも入ることができるそうだ。

 父夫婦のことは考えただけで気分が悪くなってくるが、それでも実は這ってでも行きたいし、そうするつもりだ。

 父がどれほどイカれていようが、枯れていようが、会いたいし、またいくらその父であっても、不当な言いがかりは決して許さないという思いがある。

 わたしたち姉妹は、父に対してできる範囲のことは精一杯にしてきた。船員だった父が不在のときは母を守り、母亡きあとはわたしたちなりに父を見守って……、そんなわたしたちを訳のわからない理由で拒絶したのは父ではないか。その癖、こんな呼出状を送りつけてくる。ちくしょう。

 わたしたちがどれほど傷ついてきたか、わかりもしないで。とあまり感情的になりすぎては、本当に調停に行けなくなってしまうかもしれないし、調停でも不利だろう。

 民事における法的な場というのは、複数の人間間の利益・不利益を法的な観点から技術的に調整する場にすぎない。それ以上のことを期待しても無意味だ。逆の言い方をするなら、その範囲内のことなら期待できるというわけだ。

 わたしは思うのだが、自分に対して迷惑をかけてくる人間というのはいつまでもかけてくるし、自分に対して非情な人間というのはいつまでも非情だ。それは血縁者であろうが、なかろうが関係がない。

 こういった人間とどう関わっていくかは、難問だ。簡単に切れる縁であればいいのだが、なかなかそうはいかないことが多い。切りにくい縁であるからこそ、関わりが深刻になるというところもある。こうした難問と飽きもせず、全身全霊で取り組んできた文学という名の芸術は、つくづくすばらしいと思う。 

 文豪の中でも、バルザックには法律の絡んだ作品が豊富だ。バルザックであれば、父とわたしたち姉妹の悲喜劇をどう描くだろう?(父の問題 その九へ)

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