創作ノート①
小説の題名は昨日決定。
アバウトなプロットと整理のついていないメモで、本日見切り発車。原稿用紙1枚分、スムーズに書ける。出だしでつまずくと気持ちが悪く、どうしてもノリが悪くなるが、幸先よし。
いつものようには設計図を詰めなかった。頭の中ではとっくにドラマが進行していていて、追いつけなくなりそうだったから。
今回設定した登場人物たちはアクティブで、じっとしていてはくれないのだ。こんな見切り発車の常として、ノリが悪くなったときには空中分解の危険が伴う。
タロットで、この小説の運命を占ってみた。父のことに煩わされている現状からスタートして、現在の逸る気持ちが出ており、賞環境も悪くはない、最終カードは正位置の審判。
やる気の出るカードが出たが、生憎、賞に関してはわたしの占い、めったに当ったためしがない。現在の文学賞が、ギャンブル化しているからだろう。わたしにはギャンブルを占うことはできない。
他の事柄なら、かなりの確率で的中するのだけれど。。。で、いつもこう解釈することにしている。努力すれば、いい作品に仕上がる――と。
こんな当たり障りのない解釈であれば、占いなど無意味だと思われるかもしれないが、実は、そのとき、そしてごく近い未来が、小説を書くに適した状況にあるかどうかを占って、小説進行を測るためのある目安としているというわけなのだ。
わたしの目的は賞をゲットすることにあるのではなく、いい作品を仕上げることにある。
そりゃあ賞はほしい。ほしくなければ応募なんぞ考えない。といって、ギャンブルに作品を捧げる気にはなれない。つまり賞の傾向と対策に腐心して、審査員達に好まれそうな作品に仕上げることはもうしたくないということだ。過去にはいろいろやった。
だが、審査員の中でも声の大きな審査員(大抵俗っぽい。声の小さな審査員ほど大抵は芸術家肌であり知的であり思慮深い)の好みに作風を変えるなど、わたしには到底不可能であることがわかったのだ。
ただ、賞に対する意欲を有効活用すれば、作品に締まりと輝きを与えることができる。あくまでミューズに作品を捧げるつもりで書きたい。
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