面白そうな本、2冊
面白そうな本の1冊は、水声社が刊行中の《バルザック 幻想・怪奇小説選集 全5巻》の中の1冊で「呪われた子」(関連記事はこちら)。
「呪われた子」には、『サラジーヌ』『エル・ベルドゥゴ』『不老長寿の薬』『フランドルのキリスト』『砂漠の情熱』『神と和解したメルモス』『続女性研究』『呪われた子』が収めされていて、いずれも人間喜劇の中の作品です。
東京創元社から出ている「バルザック全集」の収録作品とかぶっていないところが嬉しい……。
などと、まるで自分が購入したかのような口ぶりですが、これは娘が買ったものでした~。夫も娘も、ちょっとした収集癖があり、それは一種のフレグランスの役目を果たしているようなのですが、それを蚕が桑の葉を食むように、実際にせっせと活用させてもらっているのはわたし。
わたしにとっても、勿論、作品から放たれている芳香は、充分すぎるくらいフレグランスとして生活を味わい深いものにしてくれています。本当にバルザックには酔ったようになってしまって……お酒の役目も果たしてくれているようです。
こんなつまみ食いはいけないな~と思いながらも、それをやってみましたら……。
『サラジーヌ』では、ある邸宅の時計が午前零時の鐘を打ち、『エル・ベルディゴ』でも小さな町に夜の12時の鐘が鳴り響き、『不老長寿の薬』では豪壮な館で7人の遊び女たちが貴公子を囲んで座っていて、『フランドルのキリスト』は港町の情景から、『続女性研究』ではきらびやかなパリの舞踏会のシーンから始まります。
そして、『呪われた子』は伯爵夫人の陣痛の場面から始まるのですが、バルザックには驚かされます。
次に引用するのは、私市保彦訳によるその出だしです。
ある冬の夜の午前二時頃、ジャンヌ・デルヴィル伯爵夫人は、ひじょうにはげしい陣痛を覚えたので、経験がなかったとはいえ、出産が間近いことを予感した。そして、一番楽な姿勢にからだをおきかえたいという本能にうながされて、いままでにない苦しみの正体を見きわめようとし、あるいは自分の状況について深く考えようとして、体を起こすことにした。
彼女はひどい不安におそわれていたが、その不安は、ほとんどの女性がおびえる初産のときの危険というより、生まれた子どもを待ちうけているさまざまな危険を思って、生じたものだった。
小説や映画の中で陣痛や出産のシーンが描かれることは多いのですが、このような産婦の内面に踏み込んだ臨場感溢れる、まるで心の中まで実況中継するかのようなシーンが描かれることはまれではないでしょうか。
性的な関心まじりの弄んだような描きかたであったり、あるいは健康的なそれをも危篤か何かのような描きかたであったりで、おおかたは愛情生活、日常生活の続きであるはずの出産を時間の流れから切り離してしまっているのですね。
出産はある意味でイベントですが、産婦の来し方が色濃く反映するイベントなのです。日常レベルでも、デリケートな心のレベルでも、精神活動は継続しています。リアルだと感じさせられる描写に出会うことは、めったにありません。
バルザックはよく、女性しか体験しないはずの事柄をリアルに描いてみせてくれ、本当にぎょっとさせられることがあります。
わたしが、今まで読んだバルザックの作品の中で一番面白いと思うのは出版界を描いた躍動感溢れる作品『幻滅』ですが、最も美しいと思うのは『谷間のゆり』です。その中でバルザックは、フェリックスという青年に対してヒロインのモルソフ夫人に、次のようにいわせます。
お若いのにどうしてそのようなことがおわかりになりますの。女でいらしったことでもおありですの。(石井晴一訳、新潮文庫、昭和48年)
わたしは思わず笑ってしまったのですが、この言葉は作者のバルザックにこそいいたい言葉です。バルザックの周囲には女性の協力者が沢山いたとはいえ、その協力を無駄にしないだけの優れた感受性、受容力、推理力が彼にはあったのだと想像せざるをえません。
バルザックを読んでいるとつくづく、これからまだ宿題として読まなければならない村上春樹の偏頗な感受性、趣味的な受容力、深みに乏しい自己宣伝的な推理力が身にこたえ、宿題を放り出したくなります。
そんなものを義務として読むよりも、『呪われた子』の伯爵夫人がどんな境遇の中へどんな子どもを産み落とそうとしているかのほうにぞくぞくした興味がわき、続きを読みたい衝動に駆られます。
バルザックの本の紹介が長くなりましたが、河出書房新社の夢文庫で出ている「名曲 謎解きミステリー」も面白そうでしょう? ベートーヴェンの「エリーゼのために」が本当は「テレーゼのために」のはずだったなんて、知りませんでした。
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