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2007年7月 2日 (月)

ひとりごと(父の問題 その五)

  父の再婚は失敗だった。

 再婚を告げられたときに、子供の責任において、はっきりと不審な点を指摘し、反対すべきだった。

 勿論、父がわたしの忠告を聞き入れたはずはなかったと思うが、父の主体性を尊重しようとするあまり、不安な本心を偽って賛成などすべきではなかったのだ。

 それは一見思いやりのある行為のようでありながら、子供としての責任の放棄、わたしという一個の人間としての主体性の放棄だったと今更ながら思う。

 夕食後、午後10時前から座椅子で横になり、そのまま寝てしまってふと目覚め、ずいぶん長く寝た気がして時計を見ると、まだ午前1時をまわったくらいの時間だった。

 眠りの中では何かいろいろと夢を見ていて、その中には父も出てきたように思うが、どんな夢だったかは忘れてしまった。

 ただ目覚めたとき、わたしは父に対する思いでいっぱいになっていて、父が可哀想でたまらない気持ちが心底こみ上げてきた。日のない真っ暗な地球上に老いた父とふたりきり、そんな心象風景が拡がっていた。

 父と話したい、父に触れたい、父とふたりきりになってみたい――そんな想いが溢れてくる。父が表面上はどれほどわたしを退けて見えようが、本心では頼っている、呼んでいる……そんな気がしてならない。

 父を除けば女ばかりの家族の中で、野生的で子供っぽく、それでいて周到、粘着質、過度に行動的、極度に神経質であった父に一番似ているのはわたしで、子供の頃は母のおなかに金玉を忘れてきた、などと近所のおばさんからいわれたりした。

 父にわたしはなつかなかったが、どこかでは互いに意気投合しているようなところもあって、いわば父と男の子の共鳴とでもいおうか、距離を置くにしても、妹の女の子らしい距離の置きかたとは異なるところがあったように思う。

 だから、昔から、家族の中でわたしだけは父が目にあまると思ったときは、殴られることを覚悟ではっきりといってきた。結婚後に、すっかりなよなよとなってしまうまでは。。。

 父に殴られたことは一度もない。ぶるぶると父の手が震えることはあったけれど。わたしが父にいいたいことをいったときは、父は怒りに震え、体を引いて斜め下から恨めしげにわたしを見るが、その目はどこかしら澄んだ光を宿している。

 非常識なことをいって母を困らせている父をそうやって何度も叱り、批判し、牽制し、誘導し、心理的に距離を置いたところからではあったが、わたしなりに父を見守ってきたのだった。

 そうした意味では母も妹もわたしを頼っていたというのに、わたしは結婚後に人間が変わってしまい、これまた非常識なところのある夫との生活に明け暮れ、子育てに明け暮れ、女らしさの感覚に囚われ――わかりやすくいえば、父どころではない日々の中で、父のことはほぼ忘れていたといえる。

 父とわたしのあいだにあったのは親子の情愛ではなかった。その代わり、微妙に作用する、ひじょうに繊細な友情が存在したのだ。だが、父の第2の人生の始まりで、わたしは率直な意見をいう代わりに、世間的な体裁で物をいい、心からのものではあったが、どこかおざなりな祝福をしただけだった。

 それは、ある裏切りだったといえる。

 今、父がわたしを呼んでいる。夫の会社に、金曜日と日曜日に電話があり、それは父と奥さんの世界にしか存在しない法律的事務手続きに関することだった。わたしに電話をかけるようにとのことだった。

 父はまだこの家の電話番号を知らない。転勤した夫の会社の電話番号も、探偵を使って調べたという。探偵を使わなければ調べられないほど、イカれているのか? 夫の話では、父がいっていることはおかしいが、口調はごく普通だったという。

 妹と電話で話したところでは、従兄の勤務する役場にも父は数回あらわれ、同じことをいったという。従兄は別室に父を案内して、そこで父の話にうんうんと頷き、受け流し、さりげなく健康状態などを観察してくれたようだ。

 従兄の父親は、父の一番上の兄で、この伯父を父は父親のように尊敬し、慕い、奥さんを最初に連れていったのも伯父の家――すなわち父の実家だったはずだ。

 その実家とすら絶縁に近い状態にあるのだが、ただ、自分のほうからはこんな具合に必要に応じてコンタクトをとろうとする。

 伯父は交通事故以来、父が頼れる存在ではなくなっている。父の両親、すなわちわたしの祖父母はもういない。考えてみれば、父ほど甘えん坊で、周囲から可愛がられてきた人間は少ないのではないかと思うほどだ。

 宴会が大好きで、座を盛り上げる天才だった。それなのに、今は奥さんとふたりきり。

 宴会後も父の酒宴はひとりで続き、しだいにそれが暗転してきて、愚痴となり、恨みつらみとなる。何しろ、ひとりでビールを1ダース以上空けないことには、父の酒宴は終らないのだ。見るに見かねたわたしのとどめの一言で終るといった具合だった。

 父の結婚生活もどうやら、それと同じ経過を辿っているように思えるのだ。盛り上がった華の時期があり、それが暗転し出してロミオとジュリエットよろしく引きこもった時期があって、ついに終りたくても終らせられないつらい時期を迎えてしまった。それが今なのだ。

 父は、わたしのとどめの一言を待っている。だが、その一言は、老いた父にとって致命的な結果を招きかねない。

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