パンの詩2篇をご紹介~アルチュール・ランボー『びっくりした子供たち』(粟津則雄訳)/ガブリエラ・ミストラル『パン』(田村さと子訳)
気持ちが沈んで仕方がありません。難しい人間関係がひとつといわずあって、手にあまる事態です。
こんなときは考えあぐねて天井を見るのも、いいかもしれません。息子が指導を受けている理論化学の教授は、落ち込んだときに、6時間くらい天井をご覧になるそうです。
家事を半分投げ出して、昨日はそれに近い時間を過ごしましたが、そのあとで、こんなときに読みたくなる詩を読みました。それらをご紹介したいと思います。
パンが登場する詩、2篇です。アルチュール・ランボーとガブリエラ・ミストラルの詩ですが、どちらがより好きかといわれても答えられないくらい、わたしはどちらの詩も好きです。ふんわりあったかなパンを食べたような気持ちになります。
ここでお断りですが、ガブリエラ・ミストラルに関するエッセーが出だしから滞っていまして、申し訳ありません。書きたいことの中心は定まっていますので、お待ちくださいね。
ミストラルの記事に、ほぼ毎日アクセスしてご訪問くださる方々があり、ミストラルには案外ファンが多いんだなあと嬉しくなります。カリール・ジブランにも、ほぼ毎日、訪問客があります。
そういえば、アクセス解析で、わたしの料理アルバムの子供が好きそうなハンバーグやオムレツなどを転々としながら長く見ていってくださった方があったので、何気なく足跡を辿ってみると、小学生のためのキッズサーチを利用してのお客様でした。
そのお客様がキッズとは限りませんし、キッズだって料理をしたりもするでしょうが、もしかしたら家庭料理に飢えたお子さんかもしれないなあ……なんて、思ってしまいました。
びっくりした子供たち
雪のなか、靄のなかに、浮き出した黒い姿、
あかあかと光の洩れる風抜きの大きな窓に、
まんまるく尻を並べて、しゃがみこんだ五人のちびたち――かわいそうに!――
パン屋のおやじが、亜麻色の重たいパンを
作る姿に見ほれているんだ。眼にうつるのは、強そうな白い腕が、
灰色の捏粉をこねて、あかるいかまの
穴のなかに押しこむ様子だ。耳にするのは、すてきなパンが焼ける物音。
パン屋のおやじは、にやにや笑って、
古い歌など唸っているんだ。しゃがみこんで誰ひとり身じろぎもせぬ、
赤く染まった風抜き窓の、おっぱいみたいに
あつい息吹を吸いこみながら。メデイアノーシュに使うために、
ブリオーシュ風に作ったパンが
かまどから引っぱり出されると、黒々とすすけた大きな梁の下で、
香ばしいパンの皮やこおろぎたちが、
歌うたい始めると、この熱い穴がいのちを吹きこむと、
ちびどもの魂は、ぼろ着のしたで、
うっとりと夢見心地だ、ほんとうに生きている気持ちになって来て、
霧氷の蔽うこれらあわれなイエスたちは、
どいつもこいつも、赤らんだちっぽけな鼻面を、
窓の格子に押しつけて、穴のあいだで、
何ごとかぶつぶつ呟き、馬鹿な奴らだ、お祈りなんぞあげている、
それにこいつら、開かれた天国の光の方へ、
あんまりひどく身を折り曲げたものだからズボンが破れ、
着ている下着も、冬の風に、かすかに
ひらひら揺れているんだ。『世界詩人全集 9 ランボー詩集』(粟津則雄訳、新潮社、昭和43年)
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
パン
テレサとエンリケ・ディエス・カネダにテーブルの上に置きさらされたひとつのパン、
半分 焦げていて 半分 白く、
てっぺんが摘みとられていて、
純白の中身がのぞいている。めずらしくて初めて見るようで、
わたしが食べてきたものとは違うものみたいだ。
だが、そのパン屑をこぼしながら、夢の中で、
手触りと匂いを忘れてしまった。乳をふくませてくれたときの母の匂いがする、
わたしが過ごしてきた三つの渓谷の匂いがする、
アコンカグアと、パツクアロと、エルキと、
そして わたしがうたうときのわたしの心が。部屋にほかの匂いはない
だから こうしてパンがわたしに呼びかけたのだ、
家には誰もいなくて
皿の中にちぎりかけのこのパンがあるだけ。パンはその塊でわたしだとわかり
わたしはこの身体でわたしだとわかる。あらゆる地方で食べられる
百個もの似かよったパン、
コキンボのパン、オアハカのパン、
サンティアゴの、サンタ・アナのパン。幼い頃、わたしには思えたものだった
太陽の形に、魚に、輪光に、
わたしの手はそのやわらかな中身と
翼のある小鳩のぬくもりおぼえていた……そのあと、ずっと忘れていた
おまえと巡りあう この日まで、
わたしは老いたサラのこの身で
パンは五歳のその身体で。ほかのいくつかの渓谷でいっしょに
パンを食べていた亡き友人たちは味わっている
刈りいれのすんだカスティリャ地方の八月の
そして挽き砕かれた九月のパンの呼気を。別のパン そして身を横たえる地で
食べるパン。
この手でその柔らかな中身を割り、そのぬくもりをあげよう。
パンをこぼして その湯気をそそごう。わたしの手はパンであふれている。
そしてこの手にそそがれる視線、
あまりにも長く忘れさってきた歳月に
悔いの涙がこぼれる、
すると わたしの顔は老いる
それとも この出会いのなかで蘇生する。家には誰もいないから、
ふたたび巡りあった二人は いっしょにいよう。
肉も果物もないテーブルの上で、
この思いやり深い静けさの中で、
もう一度 ひとつとなり
二人の日がつきるまで……『ガブリエラ・ミストラル詩集―双書・20世紀の詩人8』(田村さと子編訳、小沢書店、1993年)
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