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2007年6月29日 (金)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第85回

  わたしは女王を深く敬愛していました。

 が、それ以上にわたしの愛の対象であったのは、(わたしがたまたまヤエミ様に垣間見ることができたような)霊の神聖な実相に外なりませんでした。真珠はどの貝にも隠れているわけではありませんが、この至宝はどんなに霧に閉ざされた人間のうちにも隠されているということをわたしは疑いませんでした。

 それは、それを教えとして学ぶ以前から誰に教わった記憶もないままにわたしの内にあって、わたしの生きる原動力となり、わたしに自律した自由人としての自覚を与えてきた本能的知識――思い出すたびに、わたしを霊感に満ちさせる知識――でした。

 それで、わたしは、深く霧に閉ざされて見える人には、至宝を明らかにしている人と同じくらいに惹きつけられてしまうのです。閉ざされた霧の中に入って行って、その人にとっても、またわたしにとってもかけがえのない至宝を探したい欲求に駆られるのでした。

 イサエガの黒色がかった灰色の霧は不吉でありながらも謎めいた光沢をもつ荘重な垂幕のようでしたし、ヨモギの沼のような色合いは白蓮のための序曲のようでした。

 このような霧や沼の存在自体がわたしには不思議でならず、至宝とも、真善美とも関わりのある何かの原理が潜むのかどうか――、不条理や不可知の言葉で片付けてしまうなどできない性分でした。

 霧や沼の中で、誤って死んでしまうかもしれませんでしたが、女王に疑いを持たれてしまった今となっては、却って決心がつきました。

 その決心とは、わたし自身のテーマのためだけではなく、こんなにも弱ってしまわれた女王や、いとけない御子を守護するためとあらば、霧も沼も物ともしないようにしましょう、という決意でした。

 女王や御子をお守りしようとする現実は、女王の氏族が継承した――継承することに甘んずることなく、意識的に異国の教えに学びつつ貴重さを深めて来た――霊的宝玉を守ろうとする意味合いを帯びていました。

 しかしそうした決意には、自らの霊の存亡を賭けるだけの怖ろしい覚悟が必要であることをわたしはわかっていなかったのでした。

 霧や沼の存在には、わたしの馴染んで来た原理とは別の原理の息がかかっているということを、その濃密な息がかかっても安全なほど自分が強くはないということを、わたしはまだ生半可にしか知らなかったのでした。〔

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