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2007年4月25日 (水)

私的な日記と公の眼を意識するブログの関係

 思い出したいことがあって、日記帳(ファイルノート)を開いた。昨年の6月14日を最後として、日記は途切れていた。

 ブログが日々の出来事の記録、創作関係の記録となってしまったからだが、わたしにとって、ブログはあくまで舞台だ。プライベートな日記がいわば裏舞台で、舞台を支えるものとして必要不可欠だといえる。

 自分のブログが何か実体のない、計画性のない、曖昧模糊としたものになっていく不安というか、不快感があった原因の一つがここにあったようにも思える。

 勿論、以前ご紹介したように手帳は3冊あって、それなりの機能を果たしてはいるのだが、日記とは役割が違う。雑記帳も2冊あるが、これもあくまで創作メモ、落書き用だ。

 わたしの日記は無味乾燥なものなのだが、ずっと昔からそこがわたしの帰る場所で、帰るとホッとするのだ。

 ブログの記事は、なるべく当たり障りのあることを書こうと意識しているところがあり、別にことさらムードを盛り上げようとしているわけではないのだが、例えば夫の愚痴や子供の心配、自分の過去のトラウマや体調のことなど、書いているうちに感情過多になってしまい、そんな一面がわたしにはあるにしても、ブログのわたしはあまり普段のわたしらしくないのだ。

 観客がいると、女優がどんどん自分の役にはまり込んで、泣いたり笑ったりする場合と同じだろう。

 だから、ブログを読み返すたびに恥ずかしくなり、疲れを覚え、これを書いた人はどんな人なのだろうと本気で思いたくなることがしばしばなのだ。

 日記にもいろいろな心配事は書いているのだが、事実の記録と対策(?)に終始したものだ。だから、読んでいてあまり面白いものではないのだけれど、普段の静かな自分がそこにはいてホッとする。

 あまりに泣いたり笑ったりしていては暮らせない。

 でも、日記ばかりだと今度は味気なさにつまらなくなるだろう。これからは両方とうまく付き合っていきたいと思う。

 日記と疎遠になった原因には、手書きの日記をパソコン日記に変えたということがある。近眼と老眼と乱視の進行で、字を書くのに苦労する。パソコンを打つほうが楽なのだ。

 が、手元にあってすぐに書きつけられる日記帳とは違い、パソコン日記はパソコンを開いたり、フラッシュメモリを差し込んだりといった煩わしさがある。プリントアウトしてファイルノートに保存するようにしているので、読むのはすぐに読めるのだが、書くまでの準備が面倒だ。

 年をとると、日記をつけるのも大変だということがわかり、驚いている。

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