恩師の命日
窓を開けていると、気持ちのよい風が室内に入ってきます。
4月9日は、亡き神智学の先生のお誕生日で、今日は命日です。そのためか、大好きだった先生のことばかり考えています。
尤も、そうでなくても、ほぼ毎日先生のあのなつかしい知的でチャーミングな雰囲気と美しかったオーラの色合いは思い出さずにいられません。
亡くなったのは1995年でしたから、もう12年にもなるのですね。
先生という人はわたしにとって、思い浮かべるだけで、気高いものへのあこがれをそそってくれる貴重な存在であると同時に、オーラを見る自身の視力に対する幾ばくかの信頼感をよみがえらせてくれる存在でもあります。
神秘主義的自身の生きかたに、ゆらぐことのない新しい感覚をもたらしていただいたような気がしています。
先生の死後も、段階的変化を伴って、先生との内面的絆は保たれているという実感があります。相手が亡くなったからといって、神秘主義者にとっては大した違いはないともいえます。
肉体を持った存在としての相手を見る喜びがなくなった物足りなさは否めませんが、その代わり、今は違う世界に生きる者として思いを伝え合う楽しさというものは格別なのです。
49歳ともなると、亡くなった知り合いも増えましたが、そんなことが可能なのは、わたしの場合は先生とだけです。
相手の死後、初七日までの間に限り、内的に交流できた人がもう1人だけ別にいましたけれど。その人は、改稿中のわたしの小説「返り咲いた薔薇」にモデルとして登場します。
先生は、この世から遠ざかって長くなるごとに尻尾を出させなくなってしまわれ、先生の油断から出た予知的情報をわたしがキャッチすることはなくなりました。
あの世からはこの世で起きることが、先のことまで見えやすいのでしょう。そして、人間は死んだからといって、そう簡単に変るものではないようです。また、彼の世には、この世のことには軽々しく干渉すべきではないという鉄則でもあるのではないかとわたしは感じています。
先生が亡くなって年月が浅い頃は、先生の現実的な気遣いが頻繁に感じられました。
ある鋭い警告の言葉が感じられたり(耳に音声として聴こえるのではなくて、相手の心の中のつぶやきが感じとしてこちらの意識に再現されるといった伝わりかたです)、相手の微笑や戸惑いが雰囲気としてもろに伝わってくることもありました。
今では、そんな生々しい感じを覚えることはなくなりましたが、空間に見える光の点のうち、これは先生からの通信に違いないと感じられることは依然としてあります。
空間は、わたしのようなごく未熟な神秘主義者にとっても、掲示板のような一面があります。
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