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2007年4月22日 (日)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第82回

 戴営魄抱一、能無離乎、専気至柔、能嬰児乎、滌除玄覧、能無疵乎、

 おちつきをなくした魄たましいを迷わぬように維持して、統一をしっかり抱たもち、それから離れないようにできるか。呼吸いきを凝集こらし、それを柔らかにして嬰児あかのようにすることができるか。神秘的な幻影(ヴィジョン)をぬぐい去って、くもりがないようにできるか。

「この玄覧というのは、そうね、あなたがおっしやるようにわたくしも、霊的な幻影のことだと思いますね。まあ、お化けが見える――などというのは問題外で、そんなものは人間以下の視力にすぎませんが、そうではない、高みへと、精妙度を増してゆく視力にも、段階に応じた曇りというものは付き纏うものなんですね。

 あれでも『老子』には、秘教的な側面ばかりではなくって、政治的、軍事的な視点を感じさせる箇所も多いんですよ。タルがあなたにお渡しした部分にはあまり含まれていなかったと思いますが。

老子は楚の苦(こ)県の人。名は耳(じ)、(あざな)(たん)、姓は李(り)氏。周の宮廷の図書館を管理した史官であった。老子は道と徳を修めた。その学説は自己を隠し、無名でいることを要務とする。周の都に長く住んだが、周の国力の衰えを見て、やがて立ち去り関まできた。そのとき関所の監督官であった尹喜(いんき)がいった。「あなたは隠者になられるのでしょう。無理とは思いますが、私のために書物を書いてください」。そのとき老子ははじめて上下2篇の書を著わし、『道』と『徳』の意義を述べること五千余言。そして立ち去り、どこで死んだか知るものはいない。(※8)

 と書(※9)には言いますけれど、老子という人はもはや伝説的人物になってしまっているでしょう。

 彼の境涯に関する確かなことはわからないわけですが、『老子』を読んでいると、どうも内容から、緊迫した状況下をよく知る、実戦にも通じた教養人という老子像が浮かんでくるわ。

 子の名は宗。魏の将軍で、段干の地に封じられたとも、書は言っておりますね。

 祖父なども、『老子』は帝王学のテキストとしても優れた書のように申しておりましたですね。汲めども尽きない書であることは確かだと思いますよ。……」

 言葉を途切らせると、女王は、人なつこさの中にもほのかな警戒心の綾なされた表情をお浮かべになりました。

 そして、半ば疲れ、半ばわたしの無礼さに寂しさを覚えられたような女王の語調の変化があり、「お里の皆さんはお元気でしたか?」と、お尋ねになりました。

「はい。女王様。ありがとうございます」と答えるときに、二重三重の胸苦しさを覚えて、わたしの声は震えました。

 3年ぶりにお目もじが叶った女王にわたしは碌なご挨拶も申し上げなかったばかりか、唐突といえばあまりにも唐突に、『老子』の解釈をめぐっての堅い質問ばかり浴びせかけてしまい、さすがに寛容な女王も困惑してしまわれたご様子でした。

 喜び――、そしてそれにも勝る動揺のために、用意していた言葉の悉くが失われ、それが混乱を招いて力いっぱい無作法なことをしでかしてしまったというのが、このときのわたしの側のいきさつでした。〔

 
 
8 『老子』(小川環樹訳、中公文庫、1973年)解説より抜粋、引用。
 9 司馬遷『史記』。前漢、武帝の時代に編纂された。中国の歴史書の第一に数えられる。 

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