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2007年3月 6日 (火)

発作のあとで考えたこと②&児童文学作品は準備に熱が入る、パムク氏は477頁

 雛祭りの日の早朝5時半頃、久しぶりにやや強めの狭心症の発作が起きた。

 やはり、以前よりニトロ舌下錠の効き目が悪い気がした。

 以前は、薬の効果が奔流のようにほとばしり、痛みという岩をあっという間に押し流してくれ、影も形もないまでにしてくれたが、最近は、どうにか岩をどけたものの、そこで力尽きて清涼感を与えるまでには至らない、という感じだ。

 それでも、しばらくしたら、胸の中の違和感はなくなったのだから、薬に文句はいえない。

 痛みが起きてそれが和らぐまでにはほんの数分が経過するにすぎないのに、馬鹿に長く感じられ、その間に様々な想念が湧き起こるのが不思議だ。そうしたものを記録しておきたい。他に、ようやく動き出した自身の児童文学作品について。 

 胸の中に痛みが起きたときと台風被害に遭ったときとは、自身の心理に共通したものがある。

 まさか、と思うのだ。台風の被害を受けるようなことはめったに起きないことだから、そう思うのは自然だが、狭心症の発作は何度も経験してきているというのに、そう思ってしまう。

 尤も、大抵は前触れといっていい軽い痛みか圧迫感が起きるのがほとんどで、ニトロのテープを貼ったり、舌下錠を使うほどではないかもしれないなどと思いながらも使ったりして、わたしの場合、それで本格的な発作はまず防げる。

 そんな前触れもなしに突然強い痛みの症状が訪れて本当にぞっとさせられる発作というのは、昨年中に2回だけだった。今年は、それの1回目が雛祭りの日に起きたというわけだ。

 よくドラマなどで、悲愴な美しいバックミュージックの流れる中でヒロインが狭心症というより心筋梗塞の発作だろうが、「うっ」と胸を押さえて、優雅に床に倒れ伏す場面がある。そうしたドラマを見すぎたためか、バックミュージックも流れず、周囲が馬鹿に白々としていることがひどく理不尽に感じられる。

 胸の奥の痛みに釘づけになっているのに、感覚が研ぎ澄まされていて、冷蔵庫がグイーンと鳴る音、家族のすこやかな寝息などが聴こえる。

 突発的な痛みは自身にとっては特別な劇的なことであるにも拘らず、周囲は平安そのもので、あまりにも日常的な光景だ。その世界のゆるぎのなさに圧倒され、自分はそこに本来は無関係な存在であると最後通告されたかのような孤独感に襲われる。

 同時に、何の準備もできていないのに、いきなり、旅立つよう促されるような切羽詰った感じと、狼狽と、怒りを覚える。

 体は凍りついたように動かず(動かすわけにはいかないという思いが、自発的に体を固まらせる)、声も出せない。が、不自然な話にも、複雑な動きは無理でも、手だけは動かせるのだ。携帯電話とニトロの舌下錠が身近にあるかどうかが、生死を分けることもあるに違いないと思わせる。

 でも、もっと強い痛みが起きたら、ニトロを取り出すことも、発作が起きたことを誰かに知らせることも、とても無理だと思う。

 そのときがいつくるのか、今日明日なのか、もう少し先なのか、高齢になってからなのか、想像するのは難しいが、そのときがきたら、たぶん、「えっ? しまった、何の準備もできていない!」と思いながら、みっともなく死ななければならないのだろう。

 多くの人の死は、そんなものではないだろうか。

 第一、長年病気をしてきて、すっかり体が弱っている。東京にであれ、海外にであれ、あの世にであれ、旅立つだけの体力に乏しい気がする。

 が考えてみれば、この世のどこかへ旅行するには体力が要るが、あの世へ旅立つには、むしろ体力が尽きることが必要とされるのだ。何て逆しまなこと! 何てアクロバットのような発想の転換を要求してくるのだろう、死ってやつは!

 乏しい資質で懸命にこの世に自分という存在を割り込ませようとしてきたが、ついに力尽きるという感じで、この世に弾かれて終わるのだろうか。

 とはいえ、わが家を訪れた3人の死者のうち2人は、明らかに死んで自由を楽しんでいる雰囲気があった。

 姿を見たわけではないが、その2人の場合は、オーラを目撃できたし、心の中で考えていることがときどきわかった。初七日頃、召集を受けたかのように、どこかへ行った様子だ。おそらく、あの世へだろう。

 他の1人の場合は、姿もオーラも見なかったが、漠然とした怒りが感じられ、死んだことが納得できない雰囲気が伝わってきて、ここにいても解決にならないと思ったのか、すぐに出ていった。

 死んだときの状態、あの世に対する考え如何で、死んだ直後から初七日までの死者の心理状態は様々であることが想像できる。

 どうせ、どんな人間の人生も、人間の人生である限りは、中途半端に決まっているのだ。死ぬときが来たからといって、悲観しすぎないようにしよう。

 とはいえ、この体、この顔、この個性で、この世に生まれてくることはもう二度とないに違いない。おばさんになって、おなかの辺りはかなり中年太りしてしまったけれど、この体も、顔も、個性も、こんなもの……と諦める以上に、自分では結構気に入っていた。

 二度とこの外観やこの個性とコンビを組むことはあるまいと思うと、神秘主義者ならではの悲嘆に襲われる気がする。この先も、内なる自分自身は変らないのだから、と自分を慰めてみても、惜しい気がするだろう。

 主婦としての制限された、社会的地位も高い低いというより、ないような暮らしの中で、傷ついたことも多かったが、学んだことも多かった。ほとばしるような喜び、泡立つような喜び、穏やかな喜び、清浄な喜び……と、喜びのヴァリエーションは繊細で、美しかった。女性という性の幸不幸を圧縮して経験できた。

 こうしたものは、わたしが旅行鞄に詰めてあの世に持っていけるもので、次にまたこの世に下りてこなければならないとき、この貴重な土産物は役立つものとなるのだろう。

 80歳まで生きていたとしたら、この記事のコピーを読み返して、初心(?)に帰りたいものだと思う。

 ところで、滞っていた児童文学作品がようやく動き出した。この世から数日間が消滅したために起こる事件を、どうしてもうまく思いつくことができなかったのだが、「彷徨えるユダヤ人」というキーワードが浮かび、そのとたん、様々な思いつきがパズルがはまるようにうまい具合にそれぞれにふさわしい場所を得、一つのものとなって生命の歌を歌い出した感じだ。

 「彷徨える」人々のイメージが、ヒントとなったのだ。とたんにパムクが読みたくなった。自身の創作意欲が萎えているときに、彼の作品を読むのは、つらいのだ。彼が創作を楽しんでいるのが感じられるから。

 久しぶりに、中断していたパムク著『わたしの名は紅』を読み、現在477頁目だが、時間を置いたわりには、すんなり入っていけて、読み返す必要がなかった。読んでいるときは観念的すぎるように感じられた細密画師の蝶、コウノトリ、オリーヴの描写だったが、時間を置いてみると、案外、3人各様の人間像が鮮明に浮かびあがってくる。

 頁も、残りはそう多くない。犯人は誰?

 児童文学作品については、もしかしたら、そのうち賞に応募することになるかもしれないので、今後、これについての詳述は避けたい。進行具合は、また読書報告と共にブログに書きたい。

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