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2007年2月 7日 (水)

わたしとタロット。息子の卒業と大学院進学。

 何とか体調が戻った気がするが、明日、明後日と病院で、それでまた疲れそう。変な話だけれど……。

 明日の受診は整形外科。五十肩を診て貰うのだが、これはもう放っておいてもいいんじゃないかと自分では思われる。おかしい左膝、これも先生に一応いってみよう。いうのを忘れないようにしなくちゃ。予約した時間までに行かなくちゃ。科を取り違えないようにしなくちゃ。

 どういうわけか、あそこに行くとき、わたしは遅刻魔になったり、ボケおばさんになったりする。外科的な科というのが、わたしは恐いのだ、たぶん。

 明後日は循環器科。今度こそ、診察を受けたいものだ。前回は先生が緊急手術中で受診できず、薬だけ貰って帰った。ニトロの舌下錠がもうあまりない。忘れないように貰ってこなくては。具合が悪かったこともいうつもりだが、具合の悪さを訴えようとすればするほど、なぜかコミカルな表現になる癖がわたしにはある。

 息子が卒業は間違いなし、といってきた。となると、あとは入学を待つだけだ。経済的なことを考えても、同じ大学の大学院に進学を決めて、よかったと思う。ドクターコースへも進むのであれば話が別だが、2年間のためにアパート探しや引っ越しをしなければならないとなると大変だ。

 息子は、家庭教師の口がなくなったともいっていた。うまく成績をあげてやると、お払い箱になるようだ。研究室の先生から高校の講師をやらないかという話があったようだが、息子は教職をとっていず、その単位の取得なしではまずいだろうということで、この話はお流れになったとのこと。

 なまじ高校の講師など引き受けると、家庭教師に比べて自由が利かなくなる惧れがあるので、むしろ話が流れてよかったのかもしれない。

 そういえば、深夜自身の健康状態を占ったタロットで不吉な死神のカードが出たが、改めて、全体から解釈してみた。

 それによると、わたしはこれまで患者として模範的で、ときには病状改善のために大胆な選択をすることも厭わず、自信を持って自身の健康管理に取り組んできた。

 ところが、近頃病気に対する畏れや自信のなさが出てきた。健康は綱渡りをしているような状態。そのため、先の見えない徒労感でいっぱいで、極端に楽観的になったり悲観的になったりしがちである。

 幸い周囲(かかりつけの医師たち)は、優れた人たち(棒の王)で、信頼してよい。が、今後、健康に関して何か思わしくない大きな変化が起きる可能性がある。

 最悪の場合は死、とまでいえるのかどうか。どうともいえる。

 長年病気をしている身としては、ここいらで死が来たところで、一向に不自然な話ではない。むしろ、危ない状態でだらだらと何年も何年も生き続けていることのほうがわたくし的には不自然な話なのだ。

 ただ、万一、こんな時期に終止符を打たなければならないとすると、これはまずい。少なくとも家族には必要な人間であるし、わたし程度の神秘主義者であっても、希少価値だとは思うから、もう少し、その観点からの纏まったものを書き残しておきたいのだ。

 タロットは長年やってきていて、信頼している。とはいえ、占うときの自身の状態によるのだが。老子がいうように、

おちつきをなくした魄を迷わぬように維持して、統一をしっかり抱ち、それから離れないようにできるか。呼吸を凝集し、それを柔らかにして、嬰児のようにすることができるか。神秘的な幻想をぬぐい去って、くもりがないようにできるか。                      (小川環樹訳『老子』中公文庫より)

 というような状態で占えれば理想的だ。尤も、そんな状態に自分を持っていけるようであれば、そもそも占いなど必要ではないだろうけれど。

 紫外線も脳も、箱に似たこの物質世界で生きていくために必要な装置だと思っている。それらは無限的なものを有限化するための、極めつきの装置なのだ。

 タロットによって意識の質を変え、無限的な自身のうちにある知識の一端にあずかろうというわけだ。それはこの世に生きるわたしにとっては、いわばセキュリティを1つ、2つ、取り外して、本来ならばアクセスできないものへのアクセスを行うことにも似ているから、やりかたによっては危険が伴うこともあるだろう。

 神秘主義の心得がない人には、タロットはすすめられない。

 わたしとタロットの出合いは大学時代だった。タロットの歴史については、今ほど資料がなかった。神秘主義的な解釈に魅せられたが、それもそのはず、近代タロット学ともいうべき解釈法を形成したのはウェイトなど、魔術寄りの神秘主義者たちだったのだ。

 具体的な占いで一番古い記憶は、就職を控え、寮で、タロットがよく当ると評判のミステリアスなムードを湛えた薬学部の女の子に今後を占って貰ったときのことだ。

 すると、家族に病人が出て、実家に帰ることになるといわれた。就職もアパートも福岡市に決まっていたその時点で、そんなことはありえないと思ったが、そうなった。母が倒れて意識不明になり、当時は付き添いが絶対的に必要だったため、何もかも放り出してわたしは帰省せざるをえなかった。

 結婚するときに、占ったり、占って貰った記憶はない。結婚後には何度となく占ってきたが、予想に反していつもいつも、現在は悪くても将来はよくなるとばかり出る。

 娘が大学時代、アパート暮らしをしていて、湿疹になった。皮膚科に行ったところ、ステロイドとプロトピックを処方され、それを使い続けるうちに、皮膚がひどい状態になった。調剤薬局の人が漢方専門のクリニックのチラシを薬袋に入れてくれたのだが、そこへ行くべきかどうかを占った。

 その漢方専門の先生がどんな人物であるかを占ったところ、隠れた名医であると出た。そして、困難を覚えながらも、責任を持って状態の改善に導くという方向性が窺えた。

 そうしたカードが出なければ、漢方専門のクリニックに娘が行くことはなかったかもしれないし、未だにステロイドやプロトピックを使い続けていたかもしれない。リバウンドの症状は激しく、怖ろしいくらいだったから、漢方薬の手助けなしでは、ステロイドやプロトピックをやめることはできなかっただろう。

 途中迷いが生じ、病院を変るつもりで、娘に付き添って出かけた西洋医学を基本とし、漢方を取り入れている別のクリニックで、漢方専門のクリニックの先生が本当に隠れた名医であることを知った。

 そのことを教えてくれた医師は、漢方関係の九州地区における何かの役員をしていて、九州全域の漢方医に詳しかったのだ。九州では1番か2番の先生だという。「自分なんかは、その先生の足元にも及びませんよ。うちなんかに通うより、これまで通りその先生のところへお通いなさい」といわれた。

 娘は、漢方の名医のもとへも通わずに済むほど、綺麗な皮膚になった。今は、皮膚に関する何の薬も使っていない。アトピー体質は変っていないのだが、ステロイドやプロトピックに頼ることはもうないだろうと思う。

 息子の大学入試では、第一志望を何度占っても「塔」が出た。これは現状の行き詰まりと意識の改革を促すカードで、占ったわたしは辛かった。が、その後の推移として、喜びのカードが、これも何度占っても出たので、第一志望の大学には行けないだろうが、第二志望の大学は息子に合っているかもしれないと思ったのだ。実際にそうだった。

 ここに引っ越してきたとき、循環器科クリニックに通うとき、いずれもわたしは暗い、否定的な気持ちで占ったのだが、「女帝」「法王」といったカードが出た。

 気持ちの持ちようといえばまさにそうで、悪いカードが出たときは用心深くなり、よいカードが出たときは勇気が湧くから、わたしの場合タロットは、忠告を与えてくれたり励ましてくれたりする友人のようなものだ。

 今はウェイト版のカードを使っているが、絵柄を見るだけでも楽しい。そのときどきで、好きなカードは変る。「愚者」→「女教皇」→「星」→「節制」→「女帝」と変ってきた。息子はずっと「隠者」が好きみたいだ。  

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