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2007年2月14日 (水)

チョコレート狂想曲&ミストラルの恋愛詩

20070213180914 20070213181000_1  チョコレートは深夜、日付が変ってすぐに夫に渡しました。

 チョコレートに関しては、今回、なぜかいろいろと勘違いや売り場での見間違いがあって、福岡の「チョコレートショップ」のものを求めてデパ地下をうろつき、探せど探せど、ありません。

 昨日のバレンタインデーコーナーは、女性客でごったがえしていました。チョコでできた愛情のシンボルを求める人々で異様な熱気でした。売り場の人とお客のあいだで交わされる会話が耳に入ったりします。

「いつ渡せるかわからないから、日持ちしないものは駄目なんです……」

 自分の楽しみのためにチョコレートを買いに来た人々も結構いそうな気がしました。こちらのほうが、無邪気な陽性の興奮に満ちているような感じではなかったでしょうか。

 恋人のためにチョコ選びをしている人々は、もっと暗い、抑えた情熱を抱えているような気がします。

 な~んて、勝手な想像をしながら売り場を右往左往していたわたしは、もうくたびれてうつろになっていました。国道沿いのフレンチ・カフェで友人と会ったあとの快い疲れもあって。

 通りかかったデパートの人に訊いたら、福岡の老舗「チョコレートショップ」が来ていると思っていたのはわたしの勘違いで、同じデパート系列の別のお店に来ているという話でした。

 う~ん。「チョコレートショップ」のチョコを贈れば、夫がなつかしがってくれるだろうと思ったのになあ……。気を取り直して選んだのは、南仏プロヴァンスのショコラティエ・ピュイリカールの《マリヴェルニー》シリーズの中の上の写真のチョコレート。

 アラン・ドロンもここのチョコの顧客だったとあったので、選んだのです。夫はアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」「冒険者たち」が大層好きなので、そういって渡せばあるロマンと共にチョコを頬張ってくれるに違いない、と思ったのです。

 そう、普段はすっかり忘れがちなのですが、夫は案外ロマンがないと生きていけない男なのですね。それは女から与えられるタイプのものではなくて、自然や文化が微妙に調合された神秘性を感じさせるもの……。

 予想通り、ドロンの名を口にすると夫は目を輝かせて「へえ~、ホント?」といってチョコを1粒つまみました。

 そして、「NもM(娘)も、味わってごらん」と夫がいうので、「あら、いいの? そうしたら、あと1粒しか残らないわよ」といいました。「いいから、食べてみて」というので、わたしと娘はお相伴にあずかりました。

 それはカカオを感じさせる、シックなチョコレートでした。娘も気に入ったようでした。

 他に、わたしと娘は自分たちの楽しみのためにチョコを買っていて、今度は夫がそれらのお相伴にあずかりました。

20070213182029 20070213181301

 向かって左がスイスの「ヘフティ」、右がイタリアの「バビ」。

 娘は弟に「ヘフティ」のトリュフタイプのチョコを送っていました。わたしが友人にご褒美として送ったのも、トリュフタイプです。

 「ヘフティ」のチョコは、写真の板チョコタイプもトリュフタイプも、わたし好みです。夫と娘はドロンが好んだというチョコに軍配をあげました。

20070213182431 「バビ」のチョコはわたしたちには甘すぎましたが、意匠がキュート。写真にご紹介したチョコは、ゲームに使われるキューブみたい。

 チョコたちは、しっかりとした紙質のオレンジがかったローズの包み紙に包まれていて、引き出し型の透明な容器に入っています。

 ビニール袋がまた可愛らしくて、しっかりとしています。手を入れるところが、ハート型にくりぬかれています。

 こうして今年も、わが家はチョコレート業界にささやかな貢献をしてバレンタインデーを終えました。

 長くなりましたが、ここで、ガブリエラ・ミストラルの恋愛詩を「世界の詩集12 世界女流名詩集」(深尾須磨子編、角川書店、昭和45年再版)よりご紹介して、この記事を終えたいと思います。この詩の持つ格調の高さは、恋愛詩という範疇を楽々と超えてしまっていますが……。

 彼女に関するエッセー「最愛の子にブッダと呼ばれたガブリエラ・ミストラル――その豊潤な詩また神智学との関りについて」が初回で滞っておりまして、申し訳ありません。

 ミルトラルには固定ファンが存在するのか、検索して当ブログにお見えになるかたがたが毎日のようにいらっしゃるのは嬉しいことです。少しずつでも書き進めたいと思っていますので、今後共よろしくお願いいたします。 

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   雲に寄す

     ガブリエラ・ミストラル作/野々山ミチコ訳

 軽やかな雲よ、
絹のような雲よ、
わたしの魂を
青空かけて運べ。

 わたしの苦しみをまのあたりにみている、
この家から遠く。
わたしの死ぬのをみている、
これらの壁からはるかに!

 通りすがりの雲よ、
わたしを海に運べ、
そこで満潮の唄をきき、
波の花輪のまにまに
うたおう。

 雲よ、花よ、面影よ、
不実な時の間を
消えてゆくかのひとの面影を
描き出しておくれ、
かのひとの面影なくては
わたしの魂は切れ切れに引き裂かれる。

 過ぎゆく雲よ、
わたしの胸の上に
さわやかな恵みを止めよ。
わたしの唇は渇きに
開かれている!

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