パムク氏は398頁
しばらくオルハン・パムク著『わたしの名は紅』(和久井路子、藤原書店)から離れていたが、禍々しくも魅惑的な作品の世界にすっと入って行けた。
さて、カラだが、幸い彼はこの時点では、拷問の真似事をされただけだった。スルタンの命により、彼は細密画師の頭オスマンの手助けをして、殺人犯を見つけなければならなくなった。オスマンを頭とする細密画師の班が殺人犯を見つけ、引き渡すことができなければ、班全員が同罪となるのだった。
オスマンはカラに、オリーヴ、蝶、コウノトリ――と呼ばれる細密画師の特徴を挙げていく。そのうちの誰かが犯人であることは、間違いないからだ。
わたしもカラと一緒にオスマンの話を聴いたけれど、どうも特徴がはっきりしない。3人の人物が、本人の語りと他人の語りからだけから成り立ち、その語りというのがあまりにも観念的であるため、3人が1人の人物のように想えてしまうのだ。
パムク氏は、人間を単純な存在としては描いていない。が、語りから浮かび上がる人物像は観念的というだけにとどまらず、平気で人物設定の矛盾を放置しているように読める。
つまり、作者にとって都合のいい描かれかたをしているようにとれるのだ。
こんな疑問というか不満がわいてしまったが、3人各様の特徴を挙げれば、オリーヴは複雑な人格の持ち主で、美少年愛好癖がある。殺された優美さんは、「気品、洗練、それにあの女性っぽい態度に気を悪くしていた」という犯人の語りから、美しい男性だったことが窺える。オリーヴの好みだったといえるだろう。
そして、その犯人の語りの中の重大な事実に、犯人がシェキュレを熱愛していたということがある。
オリーヴが美しい男性の中に恋の叶わぬ美しい女性を見ていた可能性もなくはないが、オリーヴの語りの中に、優美さんの死体が発見される前に訪ねてきたカラのことを「ドアを開けると、今度は彼らではなくて、子供のときの知り合いでとっくに忘れていたカラだった」とあるから、カラに嫉妬し憎悪しているばすの犯人ではないだろうと思う。
では、犯人はコウノトリか蝶のどちらかということになる。
コウノトリは特に哲学的なタイプで(全員が哲学的なことをいう)、異教徒の名人――イタリア絵画の巨匠――の様式に一番通じている。
だが、犯人はエニシテを殺す前にエニシテに、彼によって作らされている本が宗教を冒涜しているのではないかと問う。そのことで夜も眠れないと告白しているのである。そのような男が、コウノトリのように大胆に異教徒の様式に心惹かれたりするだろうか。
コウノトリではない。では、残る蝶か?
蝶は肥満気味で(子供の頃や若いときは美しかったという)、楽観的、おまけに妻帯者である。蝶はいう。「わたしはよく働くし、仕事は好きだ。最近この界隈で一番美しい娘と結婚した。仕事をしていない時は狂おしい愛に耽る」
こうした本人の語りからは蝶がシェキュレをひそかに熱愛し、殺人まで犯すとは考えにくいが、彼の特徴といえば感覚的であること、色の業師であるということである。
題名にもなっている『わたしの名は紅』という紅の語りの章が設けられているくらいだから、この作品をミステリーとして読んだ場合、色彩は重要なポイントであるはずだ。
一見最も素朴なこの蝶という男が、その素朴さゆえの暗転しやすさから、殺人を犯したとは考えられないだろうか。うーん、はずれかな?
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