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2006年12月 5日 (火)

児童文学作品はこれまでに書いた部分の見直し、パムク氏は364頁

 中断していた児童文学作品の続きを書くことにした。とにかく、完成にまでもっていきたい。中断したときから、かなり時間が経ってしまったので、まずは見直しから始めようと思う。

 オルハン・パムク著『わたしの名は紅』(和久井路子訳、藤原書店)は、名人オスマンが殺人事件を正式に勘定方長官から知らされたときのことを語る章を読んだ。近衛兵の隊長も在室している。隊長はスルタンの名の下に処刑や拷問を実行する人物だ。

 オスマンは細密画の工房の頭なのだが、彼は聾桟敷に置かれていた。スルタンは元高官であったエニシテに祝賀本の作成を命じ、エニシテはオスマンの可愛い細密画師たちを使って愚にもつかぬ絵を描かせたばかりか、殺し合いまでさせた。

 オスマンの認識は、こうしたものである。彼は、勘定方長官に事件を知らせて亡きエニシテと自分が潔白であることを訴えたカラ、結婚するために奇妙な動きを見せたカラを、当然ながら快くは思わない。

「彼には尋問で拷問にかけてください」とオスマンはいう。

 オスマンは細密画師の工房に、すでに失望していたようだ。というのも、彼は次のように述懐するからだ。

わしが頭となっているスルタン様の細密画師の工房では、既に昔のように傑れたものは作られない。さらに悪くなるようにすら見える。全ては衰えて尽きる。一生をこの仕事に心から捧げたにもかかわらず、ヘラトの昔の名人の美しさは、ここではめったに達せなかったことを苦々しく感じている。この事実を謙虚に受け入れることが、人生を多少とも楽にしてくれる。元々、謙虚さは人生を楽にするもので、わしらの世界では価値ある美徳なのだから。

 その行き詰まった世界に、イタリア絵画の精神と技法という新しい血を入れることで再生させようとしたエニシテの試みは、オスマンには邪道としか映らなかったようだ。

 行き詰まりといえば、今の日本の純文学界を連想させられる。

 とはいえ、わたしはオスマンや細密画師たちとは違い、当事者たちの中には入りたくとも(その実力がなくて)入らせては貰えないので、一庶民、一文学かぶれのおばさんとして、傍観者として、今の純文学界を司っている人々が勝手に行き詰まらせていると腹立たしく感じるばかりだ……。

 そういえば、アラビア半島に位置するカタールの首都ドーハで、アジア大会の開会式が行われ、式典の模様をテレビで観た。

 五輪を上回るといっていいような、豪華な式典に驚いた。アトラクションでは、アジア諸国の、そしてカタールの文化が紹介された。

 イスラム圏の民族衣装、踊り、民謡を味わう機会はめったにないので、テレビに齧りついて見た。女性たちの黒一色の衣装から薔薇色の衣装への変化、踊り、唄……渋さとあでやかさとが何とも見事に溶け合っていて、魅了された。

 カタールはオスマン・トルコ帝国に占領された過去を持つ。『わたしの名は紅』を彩るイスラム世界を、式典を通して垣間見たような気がした。

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