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2006年12月 8日 (金)

『プラダを着た悪魔』を観て

 『プラダを着た悪魔』を観た。夫は『プラダ~』は嫌だといい、『武士の一分』を観たので、夫婦ペア券(夫婦のどちらかが50歳以上だと安くなる)は購入できず、いつもより高い感覚で購入した券……。

 そして、『プラダ~』はブランドモノが悪趣味なまでに、あるいは戯画的に、目白押しの映画だった……。ファッション誌の鬼編集長ミランダを演じるメリル・ストリープが身につけていたプラダを頂点とする超ゴージャスな服、アクセサリー、靴、バッグ。

 豪華すぎて何だかよくわからないくらいだったが、硬めの知性派編集者を目指しながらも、コネづくりのためにミランダのアシスタントとなったアンディが身につけていたシャネル、カルバン・クライン、ミュウミュウなどはいくらか目に入ってきた。

 よくあるサクセス・ストーリーかと思いきや、最終的にヒロインのアンディは元の鞘に納まるというか、自身の本来の目的を再認識し、手堅い出版社に落ち着くといった堅実なエンディングだった。

 ミランダも、悪魔というのはいいすぎで、鬼のしごきというにも可愛げのある、部下の才能はそれなりによく見ているいい上司で、日本的ないびり、いじめ、おしんっぽさとは無縁のからりとした後味のよい映画ではあった。

 ミランダの苦悩もそれなりに描かれていて、こんな健康的(?)なストーリーもアメリカ映画にはあるといえばあるパターンで、小ぢんまりとまとめた娯楽映画という印象だった。

 ミランダはスタバのコーヒーにこだわりがあり、アンディがあたふたとそれを買って上司のもとに届ける場面が印象的で、映画を見終わった娘とわたしはスタバに入った。夫の映画が終るのをそこで待っていた、というだけの話ではあるが。。。

 それにしても、シャネルはいいなあ、と思った。シャネルに限らず、ブランド物を買える生活ではないので、せめてもと口紅はシャネルを使っている。お土産に貰い、生まれて初めて持ったフレグランスはシャネルのオードトワレット5番だったが、使いこなせなかった。

 カルバン・クラインのシーケーワンが、自分で初めて買ったフレグランスだった。ユニセックスのフレグランスで、試しにつけたときの爽やかな印象が気に入り、買ったのだが、つけた香りが変化していって、最後には自分の体がひどく男臭くなったのに驚き、夫にやった。

 が、シーケーワンは、夫の体臭とは絶望的なくらいに合わなかった。シーケーワンを失敗したおかげで、フレグランスの香りは、トップノート、ミドルノート、ラストノートの3部構成となっていること、また、香りがつける人の体臭によって変化することを知った。

 今はグッチのエンヴィを使っているが、なかなか気に入ったものを見つけられない。

 それにしても、ブログにマダム……なんてつけているけれど、わたしは一生マダムなどという存在にはなれそうにないなあ。子供がそのまま老けていっているような、成熟感のなさといったら……。

 成熟しないまま、老化現象だけは人並み以上に早く起こして、ニトロのテープを貼った四角い跡が4つ。醜悪。かゆい! 帰宅したあとテープを剥したら、胸の圧迫感と眩暈が戻ってきたので、またテープを貼った。かなり、よくなった。

 近頃、眩暈がひどい。メニエールと診断されたのはもう10年以上も前になり、放置して長いので、一度耳鼻科できちんと診て貰ったほうがいいかもしれない。眩暈の原因をメニエールに比重を置いて考えたほうがいいのか、心臓や血圧との関係で考えたほうがいいのか、はっきりさせたい。

 メニエールと診断された頃は、天井がぐるぐる回る、メニエールに典型的な眩暈がよく起きたが、今悩まされがちな眩暈は血の気が引くような、ふらふらする眩暈だ。天井が回転することはない。そこまでいかないだけかと思っていたが、眩暈の種類が、つまり原因が違うのかもしれない。

 プラダの映画の話がなぜか、テープのかぶれと眩暈の話になってしまった。ああ、嫌だ。

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