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2006年12月26日 (火)

ひとりごと(へこんだ!)

 クリスマスイブに、大変な贈りものが届きました。

 同人雑誌の主幹からで、校正刷りが入っていましたが、半分しか活字になっていませんでした。

 活字になっていなかったのは、『返り咲いた薔薇』の原稿です。このブログでもアップした古い作品『牡丹』を第一話、新作『返り咲いた薔薇』を第二話として、「花に寄す」という総題のもとに一つにしたものでした。

 古い作品で、以前他の同人雑誌に入っていたときにも活字にして貰った『牡丹』が、またもや活字に。主幹はこれを気に入ってくださり、新作のほうはそのままでは掲載不可とのこと。

 ああ、そう。

 活字を追って校正していきましたが、途中で涙が出て、中断しなければなりませんでした。悔しくて泣いたのかって? 老眼と乱視で、小さな文字を追うのが眼にしんどかったからよ。

 感想がしたためられたお手紙が入っていましたし、イブでしたが、主幹宅に電話をしました。

 書き直したとして、次号に掲載可となる可能性があるかどうかを確かめておきたかったからです。幸い、それはあるようでした。それもないということであれば、ただちに脱会したでしょうね。

 ここは掲載して貰うために、折衷主義をとるしかありません。神秘主義の特徴は折衷主義でして、わたしも神秘主義者のつもりなら、こうした点でも手腕が発揮できるようにならなくてはなりません。

 実は、『返り咲いた薔薇』を書いていたときに、赤ん坊の夢を見ました。『文学賞落選、夢の中のプードル』に書いたような愛くるしいひ弱そうな赤ん坊とは違い、もっと逞しい感じの、そうですねえ、アンリ・ルソーが描いた『ポリンネル人形を持つ子供』のような赤ん坊でした。

 夢日記を確かめますと、緑色が溢れんばかりの田園の一角が部屋のようになっていて、そこでわたしは赤ん坊を着替えさせているのです。可愛らしく、大きな赤ん坊。おちんちんを見ましたが、ペニスは創造性のシンボルです。

 側に母がいましたが、夢に登場する母親は懸念、心配、あまりよくない出来事を意味していますから、この夢を見たときに、赤ん坊はそのときに書いていた作品『返り咲いた薔薇』をシンボライズしたものだろうと思い、母親は掲載に関する支障を暗示しているのだろうと思いました。

 11月の初めに見た夢でしたが、夢は先に何が起きるのかをよく知っています。少なくとも、赤ん坊はまだ殺されてはいません。簡単に殺されそうにないくらい、逞しくもあります。

 主幹はこの逞しい赤ん坊、すなわち生者と死者の恋物語である『返り咲いた薔薇』を、世に沢山出ている類の単なる空想物語としか読まなかったようですけれど、これは写実小説で、神秘主義者にしか書けず、読むべき人が読めば、わかっていただける作品だと考えています。

 活字にするために、妥協するのではなく、折衷主義的に対処しなくてはなりません。作品の質は決して落とさず、主幹に受け入れていただけるような作品を書いてみせましょう。こうした修業を積むことで、わたしの作品の幅も拡がることでしょうから。

 評論はどうしますかねえ。うーん、小説の改稿と評論、どちらも仕上げたいと思います。数打ちゃ当るではないけれど、今回も、『返り咲いた薔薇』だけでは落とされそうな気がしたため、ポピュラーな感触の『牡丹』と組み合わせたわけでした。

 まさか切り離されて、『牡丹』だけ拾われるとはね、誤算でした。でも、変に人気のあるこの作品、わたしは嫌いではないし、それなりに改稿もしたものなので、もう一度活字にしたいとは思っていたのです。

 ところで、今日は午後から、外出しなければならない用事があります。校正していたために寝ていないので、ちょっと不安……。ニトロのペンダントをし、テープも持っていこうと思います。じゃあ、行ってきます。 

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