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2006年12月 5日 (火)

「あけぼの―邪馬台国物語―」連載第71回

 悲嘆に暮れた叔母が眠りに就いた後でわたしは再び『老子』に向かったのですが、心の中で叔母に語りかけました。

(叔母さん。叔母さんがちい叔母ちゃんを褒めていた頃も、わたしには危惧があったんです――

 赤みがかった黄色い雑駁な光を頭の周りから発散している人は、大抵自分本位なようですもの。ちい叔母ちゃんには、昔からそんな光が見えました。それがパッとしない暮らしとおじいちゃんの悪影響とで、吝嗇のかたちで表面に出てきたのでしょう。

 それにしても、よき社会人、よき家庭人と見なされている人々の中に、どう見たって利己的な光――、自分たちさえ仕合わせならそれでいいと物語る光を帯びた人が多いのは、どういうことかしら。

 周囲へのこまかな配慮や常識を守った感じのよい態度が、快適な暮らしを最上のものとする、俗世間と愛人関係を結んだ、私利私欲の動機から出ている場合も多々あるということでしょうけれども。

 そんな輩(やから)を結婚相手とするくらいなら、わたしはむしろ、物へのわたしの執着を徹底的に断ってくれるすかんぴんの博徒を選びます……虚飾と飽満よりも、貧困と病気とを選びましょう……!)

 と、心の中で口走った後で、わたしはぞっとして考え込みました。

 本当の貧困状態とはおそらく、欠乏を基に人間関係から生じるもので、良識も、美意識も、もはや、絶え間ない葛藤によってその翼をもがれてしまうような、内的、外的状態をいうに違いないからです。

 さらにいうなら、人々が運命と甘んじていることであっても、それが単に政治や技術の問題にすぎないことが、どんなに多いことでしょうか……。

 その時、ふと、イサエガの影が差した錯覚を覚え、振り返ったわたしでした。〔

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