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2006年11月14日 (火)

娘の誕生日に思い出したこと

 今日は娘の誕生日。

 娘が生まれたのが、24年も前のことだとは信じられない。つい昨日のことのような気がする。実家に戻ってお産することにしたわたしの傍らでは、まだ母が生きていた。まだ未婚だった妹は家から小さな商事会社に通勤していた。父は船に乗っていて、どこか遠い海にいた。夫はひどく頼りなかった。わたしは母になる自信にも、夫とやっていく自信にも欠けていた。

 夕方産気づいて破水してしまい、妹の運転する車で病院へ向かった。母も同乗していた。夜の8時には生まれ、産みの苦しみというけれど、わたしにはスポーツ感覚の苦しみだった。生まれたばかりの娘はミルキーのペコちゃんみたいな顔をしていた。

 うまい具合にお乳が出ず、早くも育児から降りたくなったとき、赤ん坊にいずれちょっとした手術が必要なことがわかった。

 それは大したことではなかったにも拘らず、それを知って涙がとまらなくなり、その涙の本当の原因は、もうすぐ母を失おうとしていることからくる悲しみと、夫とこれからやっていくことの不安からくる悲しみが混じり合ったものだったと思うが、いわゆるマタニティーブルーといえるものだったろう。

 ベビーベッドの中で、娘は口をへの字にして、貫禄たっぷりで眠っていた。小さな癖に、わたしのひ弱さを弾き飛ばさんばかりのどっしりとした感じがあり、お医者さんも、「この子は大物になるな」と笑われた。

 が、マタニティーブルーのわたしは退院の日まで泣き続けていた。大泣きした日にお乳がほとばしり出たのは不思議だった。やがて母が亡くなったとき、娘がいてくれたから耐えられたように思う。

 息子を産むときは、娘を育てている自信から精神的に安定していた。やはり夕方産気づき、あわてて家中の掃除を済ませると、夫の運転する車で病院へ向かった。娘が同乗していた。病院へ着いて間もなく、夫は娘を彼の実家に預けるために去った。

 わたしはおなかの子と2人。子宮口が全開したが、微弱陣痛で、時間ばかりが経過した。真夜中の3時頃になって、陣痛促進剤を点滴されると、ぼんっと爆発するようにして息子が生まれた。赤黒く、皺くちゃで、未熟児だった。

 赤ん坊の顔はどんどん変る。娘が生まれたとき、わたしは泣いてばかりいたので、顔の変化を充分に観察する余裕さえなかったが、息子のときは刻々と変化していく顔を楽しんだ。朝になって夫がやってきたとき、息子は驚くほど端正な顔をして凛々しく唇を結び、眠っていた。

 夫とふたりで賛美しつつ(?)見とれた。顔はその後も変化して、まぼろしのような端正な顔は過去のものとなり、可愛らしいけれど、わたしたちの子らしい漫画っぽい顔に落ち着いた。

 産後わたしは血圧が安定せず、少しだけ退院がのびたが、未熟児だった息子は黄疸が出たりして、もっと退院がのびた。息子が退院し、捨て子のような顔になって帰ってきた娘が再び家族に加わって、わたしは母としての満足感でいっぱいだった。夫すらも、自分が産んだ長男のような気がしていた。ジョギングを日課とし、あの頃はわたしも元気だった。

 娘は、わたしが娘を産んだ年齢になる。今は仕事のことで頭がいっぱいのようだ。そのうち結婚して子供を産んだとき、わたしをあてにするようなことを今からいっている。そんな体力はないわよと答えながらも、喜んでいる弱い自分がいる。

 人間は変化する。成長によって、生理によって、病気によって、老化によって、環境によって。どんな変化にも、可もあれば不可もあるような気がする。 

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