『テレプシコーラ』の千花から連想した『アルゴノオト』の井亀あおい
Link 山岸凉子『テレプシコーラ』最終回の感想
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『テレプシコーラ』第1部が完結した。この先、この物語がどのようなふくらみを見せるのか、想像もつかない。山岸凉子は凄い……本当に凄い!
同じ作者の同じバレエ漫画であっても、鋭さの中にも少女漫画らしいあまやかさを持った『アラベスク』に比べ、『テレプシコーラ』は現代日本を舞台とし、時事的な事柄を随所に織り込み、バレエという華やかな世界の裏舞台を容赦なく曝け出した、息詰るほどにリアリスティックな物語だ。
そうした厳密な物語の構成の中で、コリオグラファー(バレエの振り付け師)としての才能に目覚めていく主人公六花(ゆき)が果たす役割は、とてつもなく大きい。物語の舞台が現実的であればあるほど、六花にそれと拮抗できるくらいの内面性が要求されることになるからだ。
そして周到な山岸凉子は、それだけの内面性を六花に与えている。この少女の空想癖は、単純なものではない。核心の部分に鋭い感性を潜ませているのだ。
物語のスタート部分で、美貌、頭脳明晰、公明正大な性格と、あまりにこの世的な贈り物に恵まれすぎた姉の千花は、惜しむらくは六花のような豊かな内面性には恵まれず、先の悲劇的展開を予感させた。
姉の千花は現実の――あるいは世俗の――価値観に縛られた結果、自ら命を絶つ。姉の死後、六花は夢を見る。トュオネラという幽界にある河で、白鳥かと見紛う美しさ、悲痛さで姉が踊り続けている夢だった。
ここでトュオネラを出してくるとは、山岸凉子のあまりの凄さに呆れてしまう。そして、そのための伏線まできちんと張られている。前もって六花は、シベリウスの『トゥオネラの白鳥』との邂逅をCDを聴くことで果たしているのだ。
トゥオネラで踊る千花の場面を読みながら、わたしはシベリウスの昏くうねるように始まるあの荘重な曲が聴こえてくるような錯覚を持った。『トゥオネラの白鳥』を聴きたくてたまらなくなったが、うちにあるのはレコードで、プレイヤーは壊れてしまっている。わたしがそのレコードで聴いていたのは、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団によるものだった。
六花は夢を下地としたバレエの振り付けを完成させ、発表会でコリオグラファーとしての才能を周囲の人々に印象づける。ここでの六花は単なる空想家にとどまらない、この世と同時にあの世をも見据えた透視家、あるいは神秘家の凄みさえ感じさせる。
ただ、こうしたアクティブな六花の行動は世俗的な野望をも感じさせるものでもあって、当然ながら、この先の彼女の葛藤や試練を予感させはする。
それにしても、千花の自殺から作者は物語をどう展開させるのか、わたしなどには想像もつかなかったのだが、これ以外の展開はありえないと思えるほどの完璧さで、第1部は完結してしまった。
ところで、千花の死から六花のトゥオネラの夢のくだりを読んでいて、『アルゴノオト』(葦書房、1979)という日記と『もと居た所』(葦書房、1978)という作品集に収められた諸作品を残して、千花と同じように投身自殺を遂げた井亀あおいという女性を連想しないわけにはいかなかった。
あおいは17歳で亡くなっている。日記も作品集も老成した筆致で描かれ、丹念で緻密で才気がみなぎっており、完全主義者であった生前の姿が想像される。彼女はシベリウスの愛好家であったようだ。
わたしは大学時代に日記と作品集を読んだが、彼女は1960年生まれ、わたしは58年だから、彼女のほうが2つ年下になるわけだが、とてもそうとは思えないような感覚の冴えと立体的といっていいような物事の巧みな観察の仕方に舌を巻いた覚えがある。
しかしながら、こんないいかたは語弊があるかもしれないが、彼女には欠如したものがあるような気がしてならなかった。『テレプシコーラ』を読んで気づいたことだが、それはたぶん、六花が備えているような感性のしなやかさ、あの世まで包含してしまうほどの内面的な広大さ、すなわち、たくましい受容力なのだ。
それは、老子が著書の中で繰り返し重要さを語るところのたおやかさ、深さ、やわらかさだ。
六花がともすれば自らの内面に取り込まれてしまう危うさを抱えているのとは対照的に、千花もあおいも、内面が現実に取り込まれてしまう危うさを抱えていたように思われる。如何なる空想力も発揮できなくなったとき、彼女たちは死んでいったように思われる。
あおいに六花のような空想癖がなかったわけではない。むしろ彼女は空想しすぎるくらいに空想をした。ただ、その空想の内容は現実的すぎて、空想が過剰になればなるほど、現実の重みばかりが増していったような印象なのだ。
わたしにしても、内面的な傾向が六花から千花やあおいに傾いてきていることが感じられ、11階から見る地面がすぐそこに見えることがある。かつてはそこそこに豊かだったはずの内面的世界は今は見る影もなく、干乾びたチーズのように小さい。創作において現実的な賞狙いに熱をあげすぎたために、内面的に蝕まれたのだろうか。それとも、これが年をとるということなのだろうか。
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