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2006年10月14日 (土)

キエフ・オペラ『トゥーランドット』

12日の木曜日にキエフ・オペラ(ウクライナ国立歌劇場オペラ)、プッチーニの『トゥーランドット』を観た。

舞台は絢爛豪華、音楽は迫力満点だった。

彼らは舞台マナーもすばらしかった。何度も繰り返されたカーテンコールにも嫌な顔一つ見せず、全員がチャーミングな笑顔、疲れをものともしない明るい雰囲気を絶やさなかった。

オペラ『トゥーランドット』については不案内だったので、トゥーランドットというのが、中国は北京に宮殿を構える天子の愛娘――冷酷にして美貌の姫君の名だと初めて知った。

彼女は求婚者に3つの謎を出し、答えられなければ死刑にしてきた。

登場人物たちの台詞に、孔子が出てきたり、道教が出てきたりはするが、あくまでそれは異国情緒を醸すための飾りだ。「生首のような月」というとても東洋的とはいえない表現などには、ぎょっとさせられる。舞台はどう見ても、中華というよりはローマ帝国だった。

昨年10月に観たプラハ国立歌劇場のヴェルディ『アイーダ』も、同種の異国情緒を飾りとしていた。舞台はエジプトなのだが、ハーレムの女奴隷と思ってしまった女性たちは尼僧で、祭司たちの歌はグレゴリア聖歌そっくりだった。

西欧人が昔つくったオペラなのだから、仕方がない。いや、だからこそ、『トゥーランドット』にしても、『アイーダ』にしても、エキゾチックで謎めいた、この世のどこにも存在しない蜃気楼のような美の輝きを放つともいえる。

わたしが観た『アイーダ』にはちょっと難点があって(というのはあくまでわたしの感想なのだが)、アイーダ役のソプラノ歌手アンダ・ルイゼ・ボグザの声が生硬で、全体に未熟な感があった。

後半部が単調だったのは構成の問題かと思っていたが、カラヤンのCDと聴き比べてみて、歌手の問題だとわかった。プラハ国立歌劇場のそのときの公演では4名のアイーダ役が来日しており、名実共に最も有名なのはマリア・グレギーナだったようだ。王女アムネリス役のメゾ・ソプラノ歌手ガリア・イプラギモヴァのほうにむしろ華があり、声も身のこなしも優美だった。

キエフ・オペラの『アイーダ』も観てみたいものだ。今回の『トゥーランドット』の配役はわからなかったが、トゥーランドット役をつとめた歌手には、主役としての華も、大きさも、十二分に備わっていた。

あれくらいの華やかさと包容力、そして勿論歌唱力がなければ、自己犠牲から死んでいったリューの死を観客に無駄死にと思わせてしまったか、リューをヒロインにしてしまっただろう。

トゥーランドットの冷酷さは、異国の王に殺された先祖皇女ローリンの悲劇を繰り返すまいとする信条と矜持とに貫かれたものだった。その頑なさが新しく生まれた愛情によってとけ、亡きリューに許しを請う姿は、誇り高いトゥーランドットならではの至純さを感じさせて美しかった。

困ったことに、第2幕の終わり頃に軽い狭心症の発作が起きてしまった。舌下錠を使うと急に血圧が下がることがあるのでまずいかもしれないと思い、休憩になるのを待って、ニトロのテープを貼った。

それでよくなったが、今回のオペラ鑑賞が特別劇的に感じられたのは、一つにはこの小さなトラブルがあって慌てたせいかもしれない。テープを持っていってよかった。だが、発作が前もって予感できそうなくらい体調が悪ければ、どんなに観たくてもマナー違反だ。今後、そのようなときは、涙を呑んで諦めるしかないと思っている。 

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