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2006年9月 5日 (火)

9月5日のぼんやりとしたひとりごと

 小森陽一著『村上春樹論』を読んでいる。『海辺のカフカ』に引用された諸作品にも丁寧な学術調査の目が行き届いていて、充実した評論といっていい。

 が、なぜか読んでいて眠くなる。村上春樹の作品を読んでいるときと同じ現象が起きて、半分読むあいだに何度眠ったことか。どうしてだか、わからない。

 一昨日の夜遅くに狭心症の発作が起きてから体調が不安定なので、そのせいかもしれないとも思ったが、それ以前に読んだときも眠くなったのだ。

 よく書かれているが、何かが足りないのかもしれない。例えば、シモーヌ・ヴェイユの著書を読んだときに感じられる、みずみずしい生気のようなものが。

 とにかく読み終えないことには、眠くなる理由も、評論の感想も出てきようがない。

 当サイトに公開したエッセー『卑弥呼をめぐる私的考察』に率直なコメントをくださった白い空虚さんとの約束(※2冊の本を読み、感想を述べるという約束)も期日が迫っているというのに、まだだ。

 白い空虚さんはどこかへお出かけのようだが、遠くへお出かけなのだろうか。そういえば、昨日知人から手紙が届き、夕方別府市のホテルにいるので、よかったらきてほしいとの文面だったが、手紙を郵便受けからとってきて見たときは、既に指定の時間を大分まわっていた。

 30日に投函され、うちに配達されたのが4日。かかりすぎではないだろうか。いくら交通の便の悪い山陰から大分市への配達とはいえ……。

 秋の九州は本州の人々を招くのか、ご親切から文通をしてくださっているフランス文学者(※わたしが大学時代からだから、もう30年近くにもなる)も、お葉書によれば、この時期に大分から日田を通って湯布院へ行かれるようだ。

 うーん、京都から湯布院へ行くのにそれというのは、頭が混乱しそうな道順だ。行ったり戻ったりするのが、お好きなのかなあ……(?)。ご家族と一緒らしいから、心配はしないけれど。

 どちらにしても、大分を通過なさるようなので、お目にかかりたいと返事を出せば、そうしていただけた可能性もあるが、通行の妨げになっては悪いような気がして、出さないままだった。

 以前に比べて、人に会うことに消極的になった気がする。読書にも、幾分消極的かもしれない。つまり、全般的な意欲の低下ということだろう。

 関連作品「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ

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