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2006年9月24日 (日)

近頃のハーボットのぬいぐるみ

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                           近頃のハーボットのぬいぐるみです。

  わたしのマイクッションで、くまのぬいぐるみと眠っています。

 ところで、田辺聖子さんの『猫なで日記――私の創作ノート』(集英社文庫、1991年)の中に田辺さんとスヌーピーのぬいぐるみの話が出てきます。

 すばらしいぬいぐるみはこちらに話しかけてくるとあり、わたしはその言葉に大層共感を覚えました。

 わが家にはふたごの猫のぬいぐるみなどもいて、それはこの子たちなのですが、どうです――、向かって右側のお兄ちゃんはやんちゃそうでしょう。なかなか雄弁なのです。左側の弟くんは、おとなしい甘えん坊。

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20060924081821  わたしにはこの子たちが生きているように思えてならなかったのですが、以前住んでいた古い大きな借家には、ネズミが出ることがありました。

 冷え込んでくる晩秋の頃に、出ました。出るのはいつも、小さな仔ネズミでした。

 当時はハムスターを飼っていたので、ネズミ退治ほど嫌なものはありませんでしたが、仕方なくネズミ捕りをしかけました。そんなあるとき、仔ネズミが一匹、めったにないことでしたが、居間に迷い込んだのでした。

 そして、その本当に小さな仔ネズミは、このふたごの猫のぬいぐるみの近くを走りぬけたのです。ぬいぐるみの猫たちはびくともせず、冷たくうつろに沈黙したまま。

 当たり前のことなのに、わたしは失望し、やっぱり所詮はぬいぐるみね、と思いました。この子たちがそのような次元で生きているのでないことはわかっていたはずなのに、どこか、納得できないものがあったのですね。

 普段わたしが心の中で大事にしている女神様や聖者たちや亡くなった人たちにも、同様の失望を覚えたことがありました。窮地に陥って助けを求めても、何の応答もなかったからです。

 でも、あとで、そうではなかったことがわかりました。というのはいいすぎかもしれませんが、応答があったとしか思えないある神秘的なことが起こりました。

 かたちにならないものを求め続け、あらわにかたちをあらわすことのない確かなものへの信頼を築くために自分がこの世に生きていると思えることがあります。

 仔ネズミ騒ぎのあと、しばらくは何となく冷淡な気持ちになってしまいましたが、しだいに再びふたごの猫のぬいぐるみは精気を帯び始め、お兄ちゃんは一層やんちゃに、弟くんもときには幼児言葉でよくおしゃべりするようになりました。

 ハーボットのぬいぐるみですか? 彼はとても繊細です。そしてクールで愛くるしい。でも、しゃべるときは男の子らしいはっきりした口調ですよ。 

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コメント

双子の猫はかわいいですね。
バイト先のお店に野良猫がいて子供までいますが、私が傍に行くとどういう訳か私について歩いてきます。餌でもくれると思っているのでしょうか?
猫の習性からするととても珍しいのではないかと思います。人間に対して(元々警戒心が強いのに)心を許すようなことしないはずなのに…

ハーボット????
見慣れていますので直ぐに解りましたよ。
ぬいぐるみがあるなんて知りませんでした。

投稿: あまみのくろうさぎ | 2007年7月24日 (火) 02:31

くろうさぎさんは、うさぎの琥珀ちゃんだけでなく、猫にも好かれるんですね。
もしかしたら、同じ猫族と思われているのでは???

投稿: マダムN | 2007年7月24日 (火) 09:26

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