自作詩「月とたましい」&児童文学作品を通して見る母親の幸不幸
月とたましい
母――完全なる相違のたましいと
わたしは寝ている。わたしの、発作のように狂気のように、母に甘えたくなった末の話で、窪みのない平板な夜に、わたしの胸の蟇蛙(ひきがえる)達もさざめかない静けさのなかで、ひときわ濃く淡く、
母のかおり、それがわたしにもたらす絶望の、何というあかるさであろう。
わたしに加担するような絶望の類(たぐい)も赤い荷車で、おとなしやかに去っていく。
母は一個のたましいではない、母は月なのだ。
母のかおりの、驟雨のような母に濡れながら地獄はあかるいところなのだろう、
と思う。
☆
『月とたましい』について。及び、児童文学作品を通して見る母親の幸不幸。
『月とたましい』は、大学時代につくった詩です。母とのあいだに葛藤があったことを忘れていたわけではありませんが、これほどだったのか、と他人事のように驚かされます。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のなかに、「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸(さいわい)になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸(さいわい)なんだろう」という言葉が出てきますが、子供というものは両親が――ことに母親が――幸福でないと、ひじょうに苦しむものです。
当時、わたしは何度となく、この言葉を読み返した覚えがあります。児童文学作品には、よく病気で……そればかりではない他の要因で不幸なおかあさんとけなげな子供が出てきて、胸が突かれるような物語を繰り広げてくれます。
エーリヒ・ケストナーの『点子ちゃんとアントン』『わたしが子供だったころ』がそうですし、アンデルセンの『あの女はろくでなし』もそうです。
一見奇怪なわが子虐めの物語の体裁をとる『にんじん』も、わたしには同類の物語であるように思えます。ここに出てくる母親は、明らかに心を病んでいて、その原因なのか結果なのか、父親との関係が奇妙です。
にんじんは屈折した思いから残酷なことをしでかしたりもしますが、賢い子で、両親の関係がどんなものかを見抜いているのです。「お母さんには、こうなったからいうけど、ぼくをひっぱたく以外に、楽しいことがないんだ」と彼は父親にいいます。
そして、物語の終結部で、こんな息も詰まるような、にんじんと父親の会話が出てきます。「ぼくには母親が1人いる。その母親は、ぼくを愛してくれないし、ぼくのほうも、彼女を愛していない」とにんじんがいったのに対し、父親はこう返すのです。「それじゃ、わしが、そいつを愛していると思っているのか?」
にんじんは、自分以外にも母親を愛せない人間がいたことを知り、歓喜します。まことに屈折した歓喜です。母親が自分を愛してくれず、その結果として母親を愛せなくなったにんじんが生き延びるためには、母親を否定するしかなかったのでしょう。
にんじんと父親とのあいだにはこのような葛藤がなく、この息子と父親とのあいだには、他人同士であるかのような距離感があります。にんじんは父親に関しては、諦念を抱いているようなところがあって、にんじんの父親観は彼のつぎの言葉から汲みとれます。
「お父さんはいばり散らし、だれからも恐れられている。お母さんだって恐れているぜ。お母さんは、お父さんの幸福に対しては、なに一つ手の下しようがないのさ」
にんじんは両親の結婚生活が父親の独りよがりなものであるにすぎず、母親は妻として容れられていないことを洞察しており、母親の女としての悲哀を子供ながらに感じ、心を痛めてきたのでしょう。
にんじんはこの異常な家族から自立して去ろうとしていますが、母親が望みさえすれば、父親を規範とした家庭生活の地獄から手に手をとって一緒に抜け出そうとしたに違いありません。
ルナールの母親は、井戸に落ちて亡くなっていますが、自殺の疑いがあるということです。ケストナーは、母親の不倫によって誕生した子供だともいわれています。
青春期にあったわたしが母親に感じた不幸にも、彼女が病気だったということ以上に、結婚生活の不調和という要因があったと思っています。船員だった父が定年になって陸にあがってくることをひどく恐れ、嫌がっていましたから。父はこのことを知らなかったかもしれません。
熟年離婚ということが流行っている世相からすれば、こんなことはありふれたことだともいえましょう。
そして、今度は自分が母親という立場になり、自分の母親と同じように病気になり、夫とのあいだにも紆余曲折経て見ると、感性の鋭すぎる子供の存在が、母親の不幸を一層際立たせて見せ、惨めにすることもあるのではないかという考えが芽生えてきました。
子供の感じやすさが母親のデリカシーを強め、幸福への欲求度を吊り上げることもあるのではないでしょうか。わたしのような感性の鋭い子供を持ったことこそが、実は母の最たる不幸だったのかもしれないと、そんなことを考えるこのごろです。
※ ジュール・ルナール『にんじん』からの抜粋、引用は、角川文庫版・窪田般彌訳によります。
| 固定リンク
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 芸術の都ウィーンで開催中の展覧会「ジャパン・アンリミテッド」の実態が白日の下に晒され、外務省が公認撤回(2019.11.07)
- あいちトリエンナーレと同系のイベント「ジャパン・アンリミテッド」。ツイッターからの訴えが国会議員、外務省を動かす。(2019.10.30)
- あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その17。同意企のイベントが、今度はオーストリアで。(2019.10.29)
- あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その16。閉幕と疑われる統一教会の関与、今度は広島で。(2019.10.25)
- 天も祝福した「即位礼正殿の儀」。天皇という存在の本質をついた、石平氏の秀逸な論考。(2019.10.23)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- トルストイ、イルミナティ、マルクス……と調べ出したらきりがない(2016.09.07)
- 連続して起きると頭がフラフラしてくる不整脈とマイナス思考(2016.01.04)
- 癌と闘っている、双子みたいな気のする男友達 ⑤一般病棟に復帰(2015.05.19)
- 幼馴染みから、30年ぶりの電話あり。久しぶりに動画で観た安奈淳(追記あり)。(2015.04.15)
- 癌と闘っている、双子みたいな気のする男友達 ③ああよかった、まだ生きていた!(2015.03.01)
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- (26日にオーラに関する追記)「前世療法は、ブラヴァツキー夫人が危険性を警告した降霊術にすぎない」を動画化するに当たって、ワイス博士の著作を読書中②(2021.01.25)
- 「前世療法は、ブラヴァツキー夫人が危険性を警告した降霊術にすぎない」を動画化するに当たって、ワイス博士の著作を読書中(2020.11.19)
- Kindle版評論『村上春樹と近年の…』をお買い上げいただき、ありがとうございます! ノーベル文学賞について。(2020.10.16)
- 大田俊寛氏はオウム真理教の御用作家なのか?(8月21日に加筆あり、赤字)(2020.08.20)
- コットンの花とマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』(2020.08.17)
「児童文学」カテゴリの記事
- Kindle版電子書籍『枕許からのレポート』、『結婚という不可逆的な現象』をお買い上げいただき、ありがとうございます!(2021.01.04)
- 8 本目のYouTube動画「風の女王」をアップしました。ビデオ・エディターの不具合で AviUtl へ。(2020.06.30)
- 6本目のYouTube動画『ぬけ出した木馬(後編)』をアップ。さわやかな美味しさ、モロゾフの「瀬戸内レモンのプリン」。(追記、青文字)(2020.06.20)
- 4本目の文学動画『卵の正体(後編)』を作成、アップしました。動画作成のあれこれ。(2020.06.11)
- 児童小説『卵の正体』(前編)の動画をYouTubeにアップしました(2020.06.07)
「文学 №2(自作関連)」カテゴリの記事
- 評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Kindle版)』をお買い上げいただき、ありがとうございます! (2021.02.26)
- 慰安婦問題、再び。今後の創作予定。KAGAYAさんの美しいツイート。(2021.02.25)
- Kindle版児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』をKENPCでお読みいただき、ありがとうございます!(2021.01.16)
- Kindle版電子書籍『枕許からのレポート』、『結婚という不可逆的な現象』をお買い上げいただき、ありがとうございます!(2021.01.04)
- (26日にオーラに関する追記)「前世療法は、ブラヴァツキー夫人が危険性を警告した降霊術にすぎない」を動画化するに当たって、ワイス博士の著作を読書中②(2021.01.25)
「文学 №1(総合・研究) 」カテゴリの記事
- 著名なヨガ行者パラマンサ・ヨガナンダと前世療法における「前世の記憶」の様態の決定的違い(2021.02.13)
- 高校の統合で校歌が70年前のものに戻っていたので、作詞者と作曲者について調べてみました(夕方、数箇所の訂正あり)(2021.02.08)
- ヴァイスハウプトはロスチャイルドに依頼されてイルミナティを作った ⑤(2021.01.30)
- ヴァイスハウプトはロスチャイルドに依頼されてイルミナティを作った ④(2021.01.28)
- バイデン新大統領の就任式とマーシャルレポート(2021.01.22)
「詩」カテゴリの記事
- 高校の統合で校歌が70年前のものに戻っていたので、作詞者と作曲者について調べてみました(夕方、数箇所の訂正あり)(2021.02.08)
- 堀口大學の訳詩から5編紹介。お友達も一緒に海へ(リヴリー)。(2017.08.29)
- 20世紀前半のイタリアで神智学・アントロポゾフィー運動。ガブリエラ・ミストラル。ジブラン。(加筆あり)(2016.06.09)
- 神智学の影響を受けたボームのオズ・シリーズ、メーテルリンク『青い鳥』、タブッキ再び(2016.06.01)
「父の問題」カテゴリの記事
- エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。父のこと。(2016.07.10)
- 妹と電話でおしゃべり(2013.08.21)
- 牛の涎の如く(2011.04.20)
- 今日は娘の誕生日。そして、児童文学作家リンドグレーンのお誕生日。(2010.11.14)
- ガスターの使い心地。作品のこと。(2010.11.02)
「家庭での出来事」カテゴリの記事
- 21日、誕生日でした。落ち着きのある美しい花束と神秘的なバースデーカード。(2021.02.23)
- 高校の統合で校歌が70年前のものに戻っていたので、作詞者と作曲者について調べてみました(夕方、数箇所の訂正あり)(2021.02.08)
- あけましておめでとうございます。初御空に一句。(2021.01.01)
- YouTubeに動画「『原子の無限の分割性』とブラヴァツキー夫人は言う」をアップしました。娘の転職。(2020.10.23)
- リブリーリプート、リブリーが戻ってくる! 今後の創作予定。(2020.10.13)