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2006年8月28日 (月)

昨日の夕飯&梨とピノッキオ

20060828025843_5   昨日の夕飯は、いつものわが家っぽいメニューで、あめたの干物、小松菜とじゃこのつくだ煮風、蓮根のきんぴら、茄子のみそ煮、しらたきのスープでした。

 いつのまにこれらがわが家の定番となったのか、わたしも年とったなあと思わずにいられません。息子がアパートで作りそうにないものを挙げていき、本人の好みを訊いて、上のメニューとなったのでした。

 大好きな焼肉をそれほど食べたがらないと思ったら、友人達と焼肉屋にはちょくちょく行くとのことでした。わたしからすれば珍しくもない上のようなおかずが、普段口にしないもののようです。

 自炊が必要となった息子に食材のことから料理道具の説明まで載っている分厚い料理の本を1冊と『栗原さんちの朝20分のお弁当』(文化出版局)を持たせてやり、それには上のようなおかずの作りかたが載っているはずなのですが……。

 実沢山のトマトスープに凝ったりしてみても、和風料理は何となく作るのが面倒に感じられるようです。

 台所用品、調味料も不自由しない程度に買い揃えてやったのですが、それが息子には恥ずかしいと感じられたらしく、あんなにはいらなかった、といっていました。

 ところが、最近になって、あれだけ揃えてくれてよかったといいます。息子の料理の本が友人たちには珍しいらしく、あれこれ眺めては「これ作ろうかな。あ、でも、これがなかった。あれもなかった」となり、料理道具や調味料を一々買い揃えることから始めるのが面倒で、「やっぱり、やめた」となるのだそうです。

 でも、最近になって料理に目覚めてきた友人がいて、分厚い料理の本を借りていったとか。息子の部屋に多いときは7人くらいやってきて、鍋物やすき焼きをするそうですが、息子はそれが楽しい様子。買出しも後片付けも、友人たちにやらせる(友人たちがやってくれる)そうです。

 食後には写真の日田産の梨を大皿にこんもり。日田市にいた頃は、日田産の美味しい梨を、それが普通の梨だと思って食べていました。汁気が多くてとても甘い日田産の梨が有名であることは、こちらに来て知りました。

 梨といえば、連想するのが、『ピノッキオの冒険』です。木切れから人形になって間もないピノッキオが空腹を訴えて、作り主のジェッペットから彼の朝飯用だった3個の梨を差し出され、最初は皮と芯は食べないといいながら、あとになって全部食べてしまう場面は、忘れられません。

 わすれられない場面は、『ピノッキオの冒険』には沢山あります。気ままで、無責任で、率直で、変に素直で、無鉄砲なピノッキオは子供がその子供らしさで大人を惹きつける類の特徴を悉く備えています。

 自分が子供だったときに読んだ『ピノッキオの冒険』は、何か恐ろしい物語として印象づけられました。死んだ少女であるかのような仙女の初登場の仕方は異様だし、ピノッキオをペテンにかけるネコとキツネは嫌らしいし、ロバになったまま死んでしまうトウシンはあまりにも悲惨、フカの腹の中でジェッペットと再会するピノッキオの運命は数奇すぎる……。

 最近のファンタジーものが何か抽象的で、社会背景もおぼろげな中で、主人公が正体のはっきりしない敵を相手にむやみに戦うのに比べ、『ピノッキオの冒険』は具体的です。社会背景も、大人や子供が抱える困難もくっきりと描かれていて、ピノッキオの行動が招く神秘や奇怪や美の場面を背後からがっちりと支えています。

 ピノッキオの場合、闘う相手は、相手が反映させる自分そのものです。
 ファンタジーもので特徴的なのは、主人公は特別の能力を秘めた無垢な人間で、相手は強大でしかも内面的にはうつろというところです。そして魔法や神器などによる力(暴力)の行使で相手をやっつけます。暴力的場面だけが嫌にリアルです。

 趣味の悪い悪夢のようなファンタジーものからピノッキオに戻ると、わたしはほっとします。悪夢といえば、健康に黄信号。例によって、膀胱炎の徴候です。 喘息も少し。                 

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