秋に寄せて
まだまだ暑いにも拘らず、昨日の夕方買い物に出たとき、ふと秋の気配を感じた。
ときめきにも胸騒ぎにも似た動揺――。どうして、そんな気がするのだろう、こんなに暑いのに……と思いながら、周囲を見渡した。
風を受けて、微かにそよぐ街路樹の葉の色合いが、ごくわずかに薄く見える。その葉の動き具合が何とはなしに、しとやかに感じられる。夕方の日差しにほのかに加わった柔らか味。街行く人々の装いが、それほどあらわでなくなり、色合いもクリーム色、茶色、シックな青色なんかが目につく。
いつもの街中がふいにさっきまでとは違って見える。何か別の吐息がかかったかのようだ。こんな風にある瞬間、突然の出来事のように新しい季節の訪れを感じることがあり、季節には、その季節の女神がいるのではないか、などと思ってしまう。
今年の夏の女神はまるで霍乱を起こしたように、変調続きだった。いつもの夏らしさが感じられず、起承転結がでんぐり返ったような調子はずれの感じで、変に暑かったというだけで、夏をすごしたという満足感に乏しい。
秋の秀句は多い。秋が秋らしくなければ、そんな秀句も紹介しづらい。
熱中して下手な俳句をつくっていた数年間があったが、異常気象といわれる年であっても、その季節が次第に深まり衰えていくまでの過程を節目節目で絶妙に捉えた季語というものは必ず存在し、その季語を踏み外すことなく、季節は進行していった。
が、今年の夏は違った。間違いなく異常気象だったと思う。季語がうまく当てはまらない。すこやかに季節が進行していくときには、無理に季語を当てはめようとする必要などなく、そのときを的確に表現した季語が自然に目に飛び込んでくるものなのだ。
地球の温暖化がいわれているけれど、それでなくとも、地球は新陳代謝を繰り返してきた歴史を持つ。
地球といえば、ブラブァツキーは、地球は月の子供だという。月は、老いぼれた老婆となっても子供を心配して、地球のまわりをぐるぐるまわっているのだと。勿論これは比喩的な表現で、地球と月の関係に関する興味深くも難解な説明を彼女は加えている。
季節の半ばに一顆の妙なる宝石のように、名月の時を秘めた秋という季節。この秋がすこやかであることを願う。
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