ジダンの怒り
わたしはサッカーには無知で、ジダンのこともあまり知らなかった。だから、白紙の状態でワールドカップを観戦したわけだが、頭突きを見舞った直後の彼の、哀しげな動物のような目には打たれた。
何が起こったのか、そのときは見当もつかなかった。人種差別の絡む、身内を侮辱する言葉に対しての反応だったと当人はいっているようだ。
差別や虐めの裏側には、複雑な要因が絡んでいる。それは氷山の一角にすぎない。作家の卵としてわたしが興味があるのは、頭突きを見舞われたマテラッツィ選手の方だ。
真相は永久に藪の中だろうが、差別や虐めということに関していうなら、それは大なり小なり、差別したり虐めたりする側の我欲に原因があるのであって、理不尽な上下関係を押しつけようとするものだ。
より深刻な場合には、他人の苦痛を喜ぶサディズムが潜んでいる。差別や虐めは単なる無神経や粗暴とは性質の異なるものだ。差別したり虐めたりする側に、金属的な臭気を放つ、肌理の粗い性質の、条件反射的なものが潜在している。そこには、民間教育とでも名づけたくなる、何かしら刷り込みの痕跡がある。
刷り込みの日本的典型には、男尊女卑の思想がある。この思想の解明は簡単にはいかない。わたしは家族を主たるテーマとして小説を書いてきたが、このテーマに本気で取り組もうとすれば、男尊女卑思想に分け入らないわけにはいかない。
わたしの世代は、戦後の民主主義的勢いの強い中で育てられ、本来こうしたことへの免疫を欠いている。それに対して、親の世代は、いわば骨抜きとなって一層厄介な性質のものとなった男尊女卑思想を残している。婚家との確執から離婚したり、精神を病む同窓の女性は多いのだ。
澄ましたがり屋で微温的平穏の中に生きたがる日本人は、このようなテーマを好まない。自分に禍が降りかかってこない限りは、不快なテーマとして封印したがる。だが、わたしには、これを不快という単純な感覚では片付けられない思い出がある。
人種差別も男尊女卑も、本質は同じものである。真相は藪の中といっても、頭突きを見舞った後の、ジダンのあの哀しげな動物のような目。
頭突きという行為が愚行であることはわかりきったことだ。だが、わたしにはあのときのジダンの怒りが、悲痛にして華麗な人間性の打ち上げ花火とも感じられた。
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