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2006年7月18日 (火)

素敵な「百年の孤独」 、そしてぞっとしたことについて。

 なかなか手に入りにくかった長期熟成した麦焼酎百年の孤独がネットで簡単に手に入ると知り、嬉しいようなあっけないような気持ちだ。

 昨日の夫の誕生日にでも贈りたかったが、何せ百年の孤独……。誕生日にわたしが贈るとなると、彼は百年の呪いをかけられたと思うかもしれない(?)。

 百年の孤独は琥珀色をしているし、その味わいからも、わたしはブランデーかと思ってしまった。もう昔の話になったが、ロックで味わったときのあの感動は決して忘れない。わたしがこれ以上の美酒に出合うことは、もうないかもしれない。

 百年の孤独が喉を通ったすぐあとに、体内でシンフォニーが響きわたった。人間の体の中で音楽が生じることがあるのだ。すばらしかったとしかいえない。今はわたしはほとんどお酒が飲めない体になってしまったが、死ぬ前に飲んでみたい。

 ガブリエル・ガルシア=マルケスの幻想がかり、魔術的装飾に彩られた小説「百年の孤独」には似ていない。百年の孤独の味わいにはもっと透明感があって、むしろ「死の都ブリュージュ」を書いたローデンバックの小説を連想させる。

 百年の孤独は安くても10,000円弱で、庶民のわたしには高級感のあるお酒だが、買って決して後悔することはないお酒だ。

 ところで前のエッセーで、2年半ほど前に夫が末期癌と誤診されたと書いたことで、驚き、不思議に思った方もいらしたのではないだろうか。

 大腸内視鏡でできものが発見され、福岡県のさる大学病院で悪性腫瘍だといわれて腹腔鏡手術を受けることになったのだが、切り取った回盲部を病理検査に回してみると、そのできものは悪性腫瘍ではなく、腫瘍ですらないことが判明した。

 夫が痩せているので、医師たちにある先入観を与えたらしい。また、できものの大きさから、彼らは容赦なく「末期癌」を匂わせた。夫の痩せ方については、研ナオコ、浅丘ルリ子といった方々の痩せ方を連想していただきたい(なぜか痩せた男優が思い浮かばない)。

 腫瘍と思われていたものは実際には肉芽(にくげ)で、皮膚が傷ついたときなどに深部から盛り上がってくる紅色の結合組織だった。虫垂の炎症のためにできたらしかった。無害だし、放っておいても消えたものだそうだ。

 と、切りとってからいわれてもね。精密検査の技術が進歩したおかげで、発見しにくかった病気も発見され治療を受けることができるようになったが、近視眼的にもなりやすいようだ。それぞれの科が専門的になりすぎて、断片的になり、全体の流れが見落とされがちなところもある気がした。

 癌騒ぎで右往左往しているあいだに、下手をすれば、虫垂炎から腹膜炎を併発して危ないことになったかもしれないと思うと、全くぞっとする。一連のこのことは小説の題材となり、「白薔薇と鳩」という一風変った短編小説となった。

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