小さきものたち、そして罪深き思い出
夏になると思い出すのは、小さきものたちのこと――さらに甦るのは、自身の彼らに対する罪深い行いである。
その小さきものたちとは、アリとカエル。カエルはアマガエル。
そうするつもりでそうしたわけではない。だが結果的に、多くの小さきものたちをわたしは殺してしまった。
アリに関しては、夏休みのラジオ体操の思い出と重なる。庭では桃の木が鬱蒼と茂り、獲りきれない桃の実が熟しきって落ち、犬小屋のまわりに点々と転がっていた。潰れた桃の実は甘い芳香を放つ。犬は果物を食べない。
小学生のわたしは、興味に駆られてアリを観察していた。アリは獲物を見つけては、獲物を削って自分が運べる分量の荷物とし、仲間と示し合わせて巣へと運んでいった。
見事なまでに統一された集団行動であった。驚くほど大きな荷物を運んでいくものもある。獲物は死んだ昆虫、時にはまだ完全には死んでいないセミだったりする。桃の実が沢山落ちていたわりには、それにはアリはあまりたかっていなかった。
わたしはアリの巣の近くに、潰れた桃の実を持って行った。アリの主食は、甘い物だと思い込んでいたのだった。甘い物がごはんで、昆虫のような生々しい「お肉」はおかずに違いない。。。
わたしは、ごはんが大好きである。ときどき醤油ごはんをしては、母に叱られた。それに比べて肉はミンチにしたものでないと、好きでなかった。魚もそれほど好きではなかった。残すほど嫌いではなかったが、どちらかというと仕方なく食べていた。
アリもそうに違いない、とわたしは思ったのだ。が、わざわざ近づけてやった桃には案外興味を示さない。そこで砂糖をやってみることにした。キッチンから砂糖壷を持ち出して、巣の近くにこんもりと砂糖を置いてみた。
アリは警戒したのか、最初は無視した。そのうち運び始めたが、やはり昆虫を運ぶときほどには、熱心さが見られない気がした。わたしは思った。昆虫に気をとられて、砂糖の貴重さに気づかないのだろうと。
まるごと砂糖が降ってくることなど、めったにないというのに、彼らはいつでもそれが起きると思い込んでいる。そして夏のあいだはいつだって、どこにだって転がっていそうな昆虫の死骸なんぞに気をとられているのだ――と。
わたしは砂糖をアリの巣に注ぎ込んだ。そして、意気揚々と家に入った。
ウィキペディア・フリー百科に「アリの基本は肉食で、それに活動のエネルギー源として花の蜜や果実、アブラムシなどの甘露から糖分を節食するという様式が多数派を占める」とあるから、アリが昆虫により精力的にたかっていたのは当然だったろう。
翌日のことである。わたしは家族の中で一番に目が覚めた。父がいれば父が一番なのだが、航海中だったから、一番に起き、下へ降りていった。
そして、そこで信じられない光景を目にしたのだった。キッチンのテーブルが黒くなっている! それは黒く厚ぼったく蠢いていて、そこから黒い線が、キッチンからタンポポ色のカーペットを敷いた廊下、さらにはいくらか光沢のある苔色のカーペットを敷いた洋室をほぼ一直線に横切り、ガラス戸の下へと折れていた。
黒いもの、それはアリたちだった。とんでもない数のアリたち。彼らはテーブルの上の砂糖壷を目的としていた。蓋が開いていたのか、彼らが開けたのかは謎である。のちに借家にシロアリが出て駆除騒ぎとなったことがあったが、このときのおぞましい光景に比べたら、ものの数ではなかった。
そのあとのことは、怒涛のように襲ってきた畏怖の念と罪悪感とで、よく覚えていない。覚えているのは、めったにヒステリックになることのない母が金切り声を出してわたしを叱りつけたこと、それから「あなたがここにいたからといって、何になるの!」と怒鳴られ、ラジオ体操へと追い出されたことだった。
ラジオ体操のあとにドッジボールの練習があった。うわの空でそれらを終え、戦きながら帰宅すると、感心したことに母はアリ退治の液体噴射器をフルに使ったらしく、膨大な数のアリを処理してしまっていた。
あたかも「戦闘」の名残のように、テーブルに何匹かのアリの戦死者が横たわっていた。よく見ると、カーペットにはまだアリの生存者たちがいたが、さしもの彼らも観念した様子に見えた。迷子のような、頼りない動きだった。
母はキッチンにいなかった。勇者を褒め称えようと、2階に上がると、母は寝室にぐったりと横たわり、目を閉じていた。心持ち、顔色が蒼かった。
目を閉じたまま母は、もうアリを構うのはやめなさい――といった。
今でもわたしには謎である。あの物凄い数のアリたち。一つの巣にあれほどの数のアリたちが棲んでいるものだろうか? 庭全体が、アリの連合国だったとでもいうのだろうか?
わたしには、あれが巣を砂糖攻めにされたアリたちの復讐だったように空想されてならないのだ。
ああアリのことを書いたら、力尽きてしまった。やはり庭に壮観な光景を繰り広げた――尤も、その原因をつくったのはまたしてもわたしだったが――アマガエルたちについては、また今度。気がむいたら……。
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