同人誌に提出した作品の話
今住んでいる市には一昨年の12月に引っ越してきたが、その引っ越してきたばかりの頃、前に住んでいた山あいの町――筑紫哲也の故郷である町――に拠点を置く同人誌の主幹から誘われ、同人となった。
誘いを断るのは、ほぼ不可能だった。なぜなら、わたしが知る以前の段階で既にわたしの作品は印刷にまわされていたからだ。
その作品はわたしが地方のK文学賞に応募した作品であり、地区選考の段階で落選してしまっていた作品だった。同人誌の主幹は欠員が生じたため急遽穴埋めの必要が生じた地区選考委員になられたばかりだったが、落選したわたしの作品にある魅力を覚えられ、また地元に根づいた伝統ある同人誌が高齢化するのを食い止める必要から、強引ともいえるこんなやり方で、誘いをかけてこられたというわけだった。
この同人誌は発行ごとに文藝春秋の文芸雑誌「文學界」の同人雑誌評欄宛に送られ、そしてほぼそれごとに同人の誰かの作品が採りあげられるという実績を上げてきた。それだけに極めて同人誌的な安定したカラーというものがあった。わたしの作品にはしばしば常識外れなところがあり、作風は明らかに変人カラーといえる。
誘われて同人誌に入ったものの、同人誌のカラーを意識せざるをえず、そのカラーが長い時間をかけてつくり出されたことを思えば思うほど、変な作品は提出できないという強迫観念に駆られる。一方では、わたしのカラーにしても、自分なりに時間をかけてつくり出してきたカラーなのだという自負がある。この二つの意識のあいだには、当然ながら葛藤があった。
正直いって、わたしはもう商業雑誌、地方のなにがし主催、いずれの文学賞にも、そしてそれら文学賞に絡む利害と付かず離れずでありながらも冷や飯を食わされ続けてきた観のある、同人誌活動というものにもうんざりしていた。
わたしは自分の作品が芸術的にも技術的にも未熟であることを自覚せざるをえないが、その未熟な作品以上に未熟といおうか稚拙といおうか俗っぽいといおうか壊れているといおうか、とにかくそういったおかしな、つまり現在のこの国の文学傾向に媚びるという点において徹底した作品が賞の栄冠に輝くのを見、賞に応募を続ける以上はそのような作品を目標とせざるをえないという、はらわたの腐るような思いを長年続けてきた。
いずれも地方の賞ではあるが、入賞できれば文芸雑誌「文學界」に掲載されるK文学賞の中央選考に2度、O賞の最終選考に2度行けたときは選考委員の評を受ける栄光に浴することができたのだが、残念ながらあまり参考にも励ましにもならなかった。文学観が違いすぎるからで、技術的なことにしてもその文学観を母胎としているものだからだ。彼らの助言を受け容れるということは、彼らの作品に似てくるということなのだ。わたしは似たくなかった。
わたしには彼らの助言が、かつて日本のピアノ界で勢力を張ったという一種誤った日本的奏法――中村紘子さんによって命名されたハイ・フィンガー奏法――に等しいものに思えてならないのだ。そこに真の芸術の歓びも信頼に足る技術もあるとは思えなかった。
そんな不穏なことを思いながらもなぜ応募を繰り返してきたかといえば、純文学に関する限り、文芸雑誌を持つ大手出版社が投稿も持ち込みも禁止しているからだった(コネがある場合は話が別だろう)。貧乏人には自費出版は無理な話であり、その貧乏人が作家になりたいと思えば、賞への応募を続けるしかなかったのだ。
不本意な応募を続けた結果、わたしは小説が書けないというスランプ状態に陥ってしまっていた。そんなところへ同人誌への加入、さらには親しくしてきたある編集者から地方の文学賞O賞応募への誘いを受けた。彼女が体を張って維持し続けてきたその賞が今回が最後となるか、別物となってしまうかもしれないからだという。
彼女に励まされながら100枚の作品を書き上げた。賞を意識したため、作風は硬直気味であり、受賞も逃してしまったけれど、彼女に話を持ちかけられなければ生まれえなかったという点で、この作品は彼女とわたしの子供といえる。女性同志であっても、精神的、霊的な子供をつくることはできるのだ。
そして、子供をつくった男女がしばしば離婚に至るように、わたしと彼女は音信不通となった。根本原因は、文学観の微妙な違い、物書きの卵と編集者という立場の違い、この世の生きにくさに対する対処法の違い……といった互いのあいだにある様々な違いの調整を図り合うことに、どちらも疲れたといったところだろうか。
このある種記念碑的な作品を同人誌に提出し、掲載可となったことは嬉しい。活字になることで、この世に小さな場が与えられ、この子供はそこで生きることができるのだ。ハーボットのウッフやビーボンが、一ブログ「マダムNの覚書」の中で生きているように……。
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