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2006年6月28日 (水)

野生返り

 中高校生くらいの年頃の男性の凶悪犯罪が多発している。しばしば家庭がその現場となっている。

 思春期くらいの男の子は、爆発物を抱えているかのように敏感なところがあって、扱いが難しい。わたしには男の兄弟がいないこともあって、参考となるような事例が記憶のどこを探しても見当たらず、息子の中高校時代には本当に困惑することが多かった。

 その時期を過ぎれば憑き物がとれたみたいに穏やかさや本人らしさを取り戻すなどとは、その渦中では想像がつかなかった。

 丸味を帯びた可愛らしい男の子が脱皮を始めた様子は、生々しく伝わってきた。ホルモンの偉大な力を借りて、大変化が起こりかけていた。

 思春期とは、人間が一旦野生返りする時期といってもいいとすらわたしは思う。その時期の息子はぴりぴりしていて、うっかり手を差し出そうものなら喰いちぎられそうな恐ろしさがあった。

 その癖助けを求めている風でもあり、その対象はわたしではなく父親であることが感じられた。

 ところが、その頃の夫はいわゆる家庭を顧みない夫であり、彼自身がどこか思春期の問題を引き摺ったままであるかのような青臭い、生硬なところを残している男でもある。

 それでも、なるべく息子が父親と一緒になれるような時間をつくったことはよかったと思う。ふたりがバーベキューや魚釣りができるキャンプ場へ行く機会を無理にでも設定し、娘は行きたければ一緒に行かせたが、わたしは遠慮した。

 行くときは面倒臭そうにふて腐れている夫も、まんざらでもない様子で帰ってくる。「ほーら、行ってみれば案外、楽しかったでしょ?」とからかうと、「別にィ」といいながらも、キャンプ場でのエピソードをあれこれ話したりする。息子は勿論、晴れ晴れとしている。

 息子は、父親の職場の話を聴くことを好む。どこか息子に敵対意識をもっている風な他人行儀風な夫も(娘に対するときは極めてリラックスしているのに、なぜ?)、家族が職場の話に耳を傾けることに悪い気はしないらしく、楽しげな長話となる。息子も日頃の反抗を忘れて喜ぶ。

 が、これも夫が仕事の問題を抱えていないときに限った。……とこう書いていけば、息子というよりむしろ夫のほうが思春期みたいだ。

 そう、息子は幼い頃から常に父親とのスキンシップに飢えていて、その鬱積感があり、それをわたしに伝えてほしくて反抗していたと今にしてみれば思える。勿論、他にも反抗の種は色々あっただろうが、根っこにあったものはそれだったような気がする。

 まだ大リーグに行く前の松井秀樹選手、戦後の混乱期を粋な白足袋姿と類稀なリーダーシップで支えた政治家吉田茂……思春期の男性にはあこがれうる男性像が必要だが、息子がそんな対象を見つけたとき、思春期の関門を通り抜けたという実感をわたしはもった。

 夫はどこか未だに思春期を漂っている。白髪は増えたのにね。

 明日彼と映画「ダ・ヴィンチコード」を観に行くが、彼が50歳過ぎているので、夫婦ペア券で安く観られる。ところで、「ダ・ヴィンチコード」って、面白いの? 

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